自動運転化の対象の順番が違うのではないか | きままなひととき

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自動車の自動運転機能にフォーカスされて、各社が自動運転技術開発のしのぎを削っている状況にあるが、僕は不確定要素が一番大きな自動車の自動運転ではなく、もっと確定要素の下で走る乗り物の自動運転のほうが先ではないか、と思う。具体的には、電車、船、飛行機。

電車は決まったレールの上を時間通り走るだけであり、交差する交通は踏切だけ。電車のほうがこうした確定条件下で走行するので、自動運転しやすいはずだ。なんでこちらを後回しにして、自動運転が一番難しい自動車ばかりに偏重しているのかわからない。

現に愛知県の名古屋市と長久手市を走るリニモは、リニアモーターカーというだけでなく、運転手も車掌もいない完全無人運転で実用化できており、開業以来まったく事故は起きていない。電車とまったく同じ条件下で自動運転ができているので、この技術を転用すれば、地下鉄も一般鉄道も新幹線もすべて自動運転が可能だし、たいした高度な技術もいらない。なのに、なぜいつまでも無人運転化しないのか、自動運転はいつでも可能なのに、なぜ電車はしないのか不思議でならない。

こうすれば、停車駅を忘れてすっとばすとか、車掌が居眠りしていてドアを開け忘れるとか、運転士がながら運転して危険だとかいった問題はすべて解消する。福知山線で起きた速度超過による脱線転覆事故も防げる。たくさんの死傷者が出た悲惨な事故を回避できるのだ。運転手や車掌の人件費も一切不要になるのだ。よいことばかりだ。

次は、飛行機。こちらは、すでに上空で一定の高度で飛行する場合には自動運転ができているので、自動運転対象は離陸と着陸時だけだ。これもAIの駆使と管制塔、飛行機の状態のセンサーを組み入れて計算すれば、完全自動運転は可能だ。超高給なパイロットもいらない。パイロット不足も補える。機内サービスをなくして一般の電車と同じようなサービスの乗り物にすれば、CAもいらない。となれば、運賃ももっと大幅に安くできるのだ。こちらも現代ならさほど高度な技術もいらず、AIを中心としたプログラムを開発すれば可能だ。なのに、なんでしないのだろうか不思議でならない。

次は船だ。GPS機能や海底の詳細な地図データにレーダーがあれば自動運転は可能だ。水深の浅い場所だと座礁するから、そこを避けて運行すれば、船など完全自動運転可能だ。レーダーもあるし、航行中の他の船の位置もすべて捕捉できているのだから、AIを組み込めば正確でぶつからない運転が容易に可能である。なんで自動運転化しないのか、不思議だ。

では、なぜ自動車がむつかしいか、それは、一般道路に、車、人、自転車、バイクなど、車が雑多に入り組んで混在し、それらが各々予測不可能な動きをするからだ。人もバイクもいつ倒れるかわからない。いつ曲がるかわからない。その横をすり抜ける時に万一ぶつかるかもしれない。幼い子が車のかげから飛び出すかもしれないし、死角になっていて見えない。雨、霧、降雪、積雪、アイスバーン、雪崩、台風による浸水、橋の崩落など、予測つかない状況に道路はなるのだ。昼と夜とでも違う。砂漠とか南極も気候が大きく違う。気温も違う。こうした不確実な要素のある自動車の自動運転はかなり高度な技術がいる。AIだけではだめで、レーダー、高精度なGPS、場合によっては自動車間通信、さらには歩行者やバイク、自転車にも発信機付センサーを取り付けなければ完全自動化など無理であろう。このように自動車が自動運転化するのは不確定要素が多すぎて一番難しいのだ。だから、電車、船舶、飛行機のほうが自動運転化しやすくて安全安心な乗り物になれるのだ。

僕は車は、田舎のコミュニティバスから自動運転をすればよいと思う。高齢者を運ぶバスだ。地域限定をすれば、もう少し自動運転化の条件が簡単になるので、それだけ自動運転化しやすいのだ。どこの地域でも通用する全地球型完全自動運転車の開発など、非常に困難であると言わざるを得ない。こんなものに開発を注力しても、交通事故になった場合に責任分担はどうなるのか、世界中の国でまだとこも決めていないのだ。メーカー責任か、ドライバー責任かで大きく違うのだ。こうした法的な課題も解決しない限り、自動運転車は道路を走ってはならないのだ。必ず裁判で争うことになるのだ。それも交通事故1件ごとに。裁判所もパンクしてしまうだろう。

自動車の自動運転は、あくまでも「運転支援サポート機能」として位置づけ、交通事故の責任はこれまでどおり、ドライバーにある、と法的に定めておかないと、自動運転機能もそう位置付けておかないと、社会が混乱するだけである。

 

ではでは。