ご無沙汰しております
もう一度言います。
無沙汰しております、あなたの街のクラウンふみすけです。
最後の日記をしたためてから2年が経ちました。
先日、ひょんなきっかけから
かつて爆裂更新していた自分の日記を1から読み直すことになり
晴れて本日、8年分の思い出を読破しましたので
ここに記念としてご報告させて頂きます。
毎日隙あらぱ読み進めておりましたが
1ヶ月半かかりました。
amebaを遠ざかって早2年。
いろんなことがありました。
今となっては
あえてそこを書き残すのはやめるけど
このブログをはじめて10年
(アカウントが生まれ変わる前から合算するともっと前になりますが)
当時はまだ、ブログ以外のSNSがそこまで復旧していなくて
今ほどプライバシー問題が激化していなかった事もあり
自分でも恥ずかしいぐらい素行を晒していて
今考えると恐ろしいぐらい身元を暴いているので
ここから先ここで続きを更新するのはやめて
新たに身元やビジュアルを晒さずに
人知れずデビューし直そうかと考えている次第です。
ただひとつ
自分の人生を細かく振り返って
真剣に恋をしていた時代や
身を粉にして働いていた時代
心をすり減らしながら介護に携わった事や
命と向き合って感じた想いや教訓
その全てを
残しておいて良かったな と思いました。
当時の自分に対して
よく頑張ったね、と言いたいし
あんたが今思い描いている理想の結末は
ちゃんと訪れるよ、と伝えたい。
覚えてるつもりでも忘れてた事や
忘れたくなかった事が
たくさん詰まっておりました。
ブログに残せなかった2年間のうちに
私の心を揺さぶる出来事はたくさんあったけど
私の記憶にしか残っていないその思い出は
儚くも、意思や希望とは裏原に
どんどん薄れていくと思う。
悲しいけど
形に残っていないからこそ
大切さが増す思い出もたくさんあります。
私はまだ、当時と同じ仕事をしていて
悲しきかな、未だにお嫁に行けてなくて
でもたくさんの人に助けられて
救われて
大事にしてもらって
今日も元気に生きてます。
当時と変わらない苦労や葛藤もあるけど
幸せに暮らしてます。
それだけ言い残して
クラウンふみすけ
人生七転び八起き日記
今まで長らく読んでくれた皆様、ありがとうございました。
各種他のSNSではこれまで通り
細々と活動記録を残したり残さなかったりするので
どうか
新しいブログを含め(まだ登録もしてないけど)ネットの世界で私を見つけてくれた人は
生温く見守ってください。
これからも頑張ります。
はばないすでー!
送別会の話
題名のわりには
大して送別会については触れません。
先日、忙しい最中にちょっとだけ
時間も体力も懐も無理して
送別会に出席して来ました。
お別れを告げるのはグループ長でしたが
その場でグループ長とは全く話せなかった。
私がたまたま話した気のイイおじさんは
なんと支社長でした。
支社長とは知らずに
ヘルプデスクの愚痴を散々溢しましたが
直接末端の話が聞けて良かったと喜んでくれて
私にトップからのアドバイスをくれました。
妻になり退職して
母となりさらに輝いた昔の同僚にも
久しぶりにお会いできて
発達した時代のおかげでSNS越しには見てても
生身に会えるのは嬉しいな、と実感しました。
先日
久々に自社の社長様とお話する機会があった。
社長自ら視察に来てくれたのは
先月私が提出した自己評価シートの内容が
あまりにも酷かったからだと思っておりましたが
結局それがきっかけかどうかは不明なまま
派遣先の我がチーム長に
慢性人手不足と給料が低いことに対する苦情を先週伝えました
というご報告でした。
レート交渉が功を奏し
少しだけ給料を上げてもらえるそうです。
レートが200円上がっても
給料にいくら反映されるのか正直わかってませんが
私が この給料では生活できない と騒いでいたのは、ばあちゃんやコロちゃんが生きていた頃であって
必死で金を稼ぐ理由がなくなってしまった今
給料はどうあれモチベーションが下がった という
最新情報はすっ飛ばして苦情を入れてくれました。
結果、給料は上がるので
嬉しいし有難いお話なのに
素直に喜べないこの感じ。
モチベーションの大多数を占めていた
ロケット打ち上げの現地支援にも
契約の関係上突然行けなくなって
私が種子島へ行くことを
いつも喜んで応援してくれて
私以上に誇りを持ってくれていた
家族や友人やじいちゃんばあちゃんがいたから
私は現地支援に行くことが
モチベーションになっていたんだという事を社長に伝えたんですが
口に出して説明するのは意外に初めてだったので
自らの口から直接発信したことにより
そうか、そうだったんだな
だから種子島に行けなくなってこんなに悲しいのか
と我ながら実感して
なんだかこみ上げるものがありました。
慢性人手不足も
新人がすぐに辞めてしまうことも
残った少ないメンバーと助け合えない事も
私の仕事に対するストレスであったり
退職が頭をよぎる原因であることは間違いない。
その中でもチーム長はいつも
我々部下の事を
できるだけ優先して考えてくれた。
個人的には
チーム内の誰よりも付き合いが長いこともあって
割といち早く私の異変に気付いてくれた。
時には 仕事以外のプライベートな苦悩までもを一緒に笑い飛ばしてくれる
今のチーム長が上司だったからこそ
私はこれまで仕事を続けてこれた
と言っても過言ではない。
チーム長がいなかったら
もっとずっと前に
私はいろいろとダメになってたと
本気で思っている。
私が
チーム長が上司でよかった
と思う反面
上司であるからこそ
自社に溢した現状報告が
苦情としてチーム長に入ってしまうのは
致し方ない流れではあるんですが
なんだろうこの不条理な感じ。
結果がまだ出ていないだけで
チーム長の奮闘はちゃんと伝わっていることと
私がこうしてチーム長を心底慕っていること
その存在に救われていることを
社長に説明しましたが
このどうしようもない不条理が
なんだか私の心臓を握り潰してくるんでした。
送別会の帰り道
無理させているのはわかっているんだけど
こんなことになってしまって申し訳ない
と、チーム長が私に謝ってくれました。
大変なことも辛いことも
どうしようもないことも沢山ありますが
この人が私の上司である限り
仕事を辞めようと考えるのは止めよう、と思いました。
怒涛の年度末
まずは元気に乗り越えます。
忙しすぎるオフィスレディ、ふみすけの決意表明でした。
会社の話
先日、流行りに乗って菌に感染した際
4日連続で休暇を取得するという暴挙に出ました。
前後の連休を含めると
なんと9連休という
お盆休みに勝る連休を取得したんですが
復活した後の仕事はまぁ凄く酷かった。
普段教えている優先順位を完全に無視した形で
各自が目の前の業務をひたすら個人プレイでこなした形跡を
目の当たりにして
メールは身内やユーザからのフォローで溢れていて
当たり前のように私の仕事は全部残ってて
何一つ手を付けられた様子はなくて愕然としてしまった。
もちろん突然の事だったし
何の事前準備もしないで連休に入ったし
その間頑張ってもらったのは間違いないので
表面的には怒りもせず悲しみもせず
ひたすら残作業を片付けるという日々を過ごしては
みんなが帰った後に廃人になる
という長い(ようで短い)毎日を
がむしゃらに独走しました。
私がいない間もみんなは早く帰っていたと
他のチームからのタレコミは入るし
私が復帰してからももちろんみんなは早く帰るし
信じられないぐらい溜まっている仕事を
ただ 溜まっています と笑いながら報告されて
助けを求めるでもなければ
どうにかしようとするわけでもない
そんな状況になっていることを上司も知らないし
知ろうともしていない。