明日の面接の為に証明写真を撮って来ました。
マイナンバー以来です。。写真代1000円。。
高くなったな。と思いました。
記憶の中では。。800円だったな。と思い
(随分と前でしょうか。。)
小さな出口から出て来る証明写真を受け取りました。
今日はミサに行こうと思っていましたが
乗った電車で人身事故が発生して遅延してしまいました。
家から1時間とちょっとかかる教会に間に合わない。。と判断して
途中の駅で降りて家に引き返しました。
殘念ですが。。こんな時もあります。
動かない電車の中の右の車両に長男にそっくりな青年が立っていました。
あら?こんな所に居るはずは無いのに。。
長男は横浜住まいです。
長男では無いな。。と二度見してから何気なく
左側の車両に目をやると。。今度は次男に似た
青年が座っていました。
まさか。。とよく見ると。。とても似ていますが
次男では無いとわかりました。
そりゃそうだよな。。次男の勤めは渋谷です。
動かない車両の中を見渡すとみんなスマホを
見ています。
私は電車の中ではスマホは見ませんので
何気に入り口付近に目をやると今度は長女に
そっくりな女性がスマホを熱心に観ていました。
えっ〜?!と思いました。
似てるなぁと思いながら不思議な気持ちになりました。
長女は北海道で母親をしていますが。。
あまりここ数年会えていません。
3人の子供にそっくりな3人の人を見た事が
偶然と言えばそうなのですが。。
心は自然に子供達の事を考え。。想っていました。
私は子育て中に鬱病になり。。3人には
迷惑をかけました。
その事を自分でもずっと責め続け罪悪感の中に
いました。
カトリック入信前ですが。。夫婦間の喧嘩も
絶えなくなり入退院を何回かしました。
そして暴力もあったのでDVシェルターを使わせて頂き。。
長女だけ連れて(上の2人は自立してました。)
夜中に家を出ました。
充分に母親を出来なかった自分は人間失格だと
さらに自分を責め続け。。なかなか鬱病は完治しませんでした。
多感な時期に辛い思いをさせた。。と
いつもそれが大罪のように感じていました。
私自身も私の両親は暴力沙汰の喧嘩が絶えない家でした。
そうしたくなかった。。のに。。と
自分責めの負のループからはなかなか抜け出せずにいました。
子供達には謝ってばかりいました。
痛烈な批判の言葉を浴びせられた事もありました。
でも。何も言い返さず謝っていました。
それでも。。あまりの言いように
『私だって!人間だ!』なんて言う時も
ありました。
それが精一杯でしたが情けない母親と映ってるんだろうな。。
どうせ私なんか。。の私自身で居た時期もありました。
それでも。。
その中でも私なりに出来る事はやった。。
つもり。。でした。でも。これは
つもり。。で3人が満足したかはわかりません。
それでも。。3人が高校を卒業し就職した時に
大きな変化がありました。
長男は大きな企業に就職し結婚が決まりました。
でも。。私の事が恥ずかしいと結婚式には
呼ばれませんでした。
長女は地元の名家に嫁ぎましたが。。
プロポーズの言葉が「普通の家庭を教えて
あげるよ。」だったそうです。
ショックでした。。
長女はすぐに妊娠し可愛い男の子を産みました。
私は孫に夢中になりましたが長女から
電気代が払えないから電気が止まると言われ
慌てて代わりに支払ったあとに長女の夫が
起業する。と聞いて激しく反対してしまいました。
今思えば。。電気代も支払えないのに起業なんて?!と
心配のあまりでしたが。。それが長女は
気に入らない様子でした。
その時に突然。。私の実母から「あんたが
鬱病で自殺してもふ~ん死んだか?!ぐらいだ
ね!」といきなり電話で言われました。
この3つの出来事で。。私は奈落の底に
突き落とされました。
その頃の担当医に泣きながら話すと。。
「随分だね。。少し距離を置きなさい。」と
言われました。
距離を置く??
本当にこの頃はどんな日々を送っていたのか
あまり思い出せないくらいに毎日泣いていました。
その2、3年前から定期的に会うようになってた今の夫に。。
これらの事を話したら。。
「実は東京で働かないか?って辞令が出てて
一緒に暮らさないか?東京で。。」と
言われました。
「たんたんさんの母親の事もさ。。
息子さんや娘さんの事もさ。。
全部。。北海道にちょっと置いて行こう。」
そう言われて。。私は半分逃げるように
上京しました。
精神科に通うのを止めて12年ぶりの運転は
東京の複雑な道でしたが必死で働きました。
それでも。。。子供の事を思わない日はありませんでした。
そのうち。。次男が横浜に。
長男が離婚して東京に来ました。
久しぶりに会っても私はいつも何故か緊張して
しまいます。
必要以上に。。東京で復活した母親を演じて
いたように思います。
ちょっと無理して2人を連れて泊まりがけの
旅行に連れて行ったり。。
正月にはまたもちょっと無理して豪華な御節料理なんかを振る舞っていました。
何とか『まともになった。』と認められたい。
それだけでした。。
でも。。最近は思うのです。
3人とも3人それなりの暮らしが出来ている。
もう。充分に立派に自分の人生を歩んでいる。
子供達に。。私を赦せとは言いません。
でも。。私も苦しんだのですがやはり。。
その苦しみの影響を与えるべきではなかった。
でも
毎日。毎日。。自分を責めては鬱病に苦しんでた。。
あの頃があったからこそ。。
今。わかる事もある。。と。
神様。。
3人を授けて下さってありがとうございます。
でも。。もう私は彼らの人生を尊重して
手放します。
わかって欲しかったや自分の想いを
あなたに渡します。
彼らが自分の人生を歩み出す後ろ姿を見送ります。
そして
あの頃の私を赦せますように。。
主を受け入れて悔い改めて新しくなり
私自身も自分の人生を喜びと祈りの中で
日々暮らせますようにお導きください。
あなたは全てご存知なはずです。
あなたに。。全てを委ねます。
アーメン。。

ちょこっとトイレに飾っていました。笑