講演会を聞いて「知りませんでした・・・」とびっくりされることが何人かあったので、ちょっと改めて。
去年書いたこの記事で世間にカミングアウトしたんだけど、ぼくはゲイである。
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ぼくは幸い、「ゲイである自分はダメ」的な、自分を責める気持ちが10代の頃からほとんどなかった。
わりと小さい頃からポジティブというか、基本viva自分なもので。
そういう意味では、少数派なのかもしれない。
ただやっぱり
「男性は女性を、女性は男性を好きになるもの」
「結婚して、こどもができ、家族になるもの」
ということが、「あたりまえ」という社会の価値観の中で育ってるから、なんだか違和感というか、孤独感みたいなものはずっと持ってた。
「ゲイであることは言ってはいけない。バレてはいけない」
ということも、ぎゅっと抱えてたし。
ぼくの10代というと、もう30年近く前の話(と、書いて自分でショックをいま受けてる・・・苦笑)なもんで、当然インターネットもないし、情報もすごく少なかった。
そういった孤独感とか生きづらさは、だんだんゲイの友だちができたり、少しずつカミングアウトして行く過程でなくなってはいったんだけどね。
去年のカミングアウト以降、もうこんなに自由でいいのかなぁ。
なんて思ったりもする。
不妊に関わるようになったのは、友人からの妊娠報告がうれしかったという、ある意味、偶然がきっかけだったのだけど、始めてから思ったのは、おんなじだということ。
いわゆる
「こどもがいて、あたりまえ」
という社会の価値観の中で、
こどもがいない。
望んでいるのに授からない。
というのは、やっぱり生きづらさを感じやすい。
その生きづらさだったり、
「普通と違う」と思ってしまう孤独感とかは、とてもぼくにとって共感しやすいし、自分が抱えていたものだけに、すごく理解できた。
カウンセリングで気持ちが楽になったり
妊娠されたり。
それは、自分が抱えていたのと同じものが、目の前で解消されていくことに他ならなくて。
なんだかすごくうれしいんだよね。
「これがしたい!」
と思って、仕事の内容をどんどん不妊に特化していったのは、そういうぼくの個人的な背景がある。
また同時に、
「妊娠すること」はもちろんだけど、「妊娠をあきらめる」ことに対して、すごく気にかかる。
それはやっぱり、ぼく自身がこどもを持たないからなのかもしれない。
ゲイだから、こどもを持つという選択肢が日本では不可能なのもあるけど。
ぼくは自分のその状況が決して嫌なわけではなく、日々しあわせに生きているわけで。
だとすると、妊娠をあきらめる。という選択をされた時に、ぼくはそのひとが、その時には納得できなくても、あとから振り返ったときに、自分の人生をこどもがいないことも含めて、「よかったな」と捉えてもらえたら、うれしいなと思ってしまう。
これは、ぼくのエゴでしかないのだろうけれど。
ただ一方で、
「自分が何者なのか」ということについて
すごくどうしてだろうと思う気持ちもあった。
40億年前の生命誕生からずっと、生物がこどもを作って、そのこどもからまた子どもが生まれてと、連綿と続いてきた生命の流れがあって。
こどもを持たない「ぼく」という存在はなんなんだろう。
こどもを持つこと=種の繁栄
であるのなら、どうして同性愛というものがあるんだろう。
だって、不思議じゃない?
全然、人類という種の繁栄にとって役に立たないのなら、自然淘汰で消えてるはず。
それなのに、データによって違うけど、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスセクシュアル)は人口の8%程度存在する。
偶然生まれたというには、無視できないほどに大きい割合を占めるのはなぜだろう?
人間だけでなく、他の動物にも同性愛は普通にみられていて。
決して特殊なことではなく、逆に普遍的な存在であるという事実もある。
でも、だとしたら余計になぜだろう?
と不思議に思う。
最近の研究でわかってきたのは、男性同性愛に関わる遺伝子があるということ。
それも一つでなく、複数ある可能性が高い。
ただし、この遺伝子を持っていれば100%同性愛者になるわけではなくて、環境も大きく影響を持っているらしい。
で、この男性同性愛遺伝子が女性の中にあると、女性の生殖能力を高める。
男性にあると、ゲイになりやすく。
女性にあると、子沢山になりやすい。
生殖能力に対してメリットがあるので、同性愛がなくならないんだそうだ。
なんかねー。
この話を知った時に、うれしくなった。
そっかー。
ちゃんと生命の流れの中に、自分の意味がちゃんとあるんだ。
そう思ったんだよね。
まして、ぼくは不妊に関わる仕事をしている。
社会に赤ちゃんを増やすお手伝いをしているぼく自身が、まるで同性愛遺伝子の働きと同じようなことをしているのが、なんだかとてもおかしかった。
あともうひとつは、ヘルパー仮説。
自分自身がこどもを持たない代わりに、まわりの家族だったり、あるいは社会に貢献するという説もある。
前にも書いたことがあるけど、閉経を迎えても長生きするのって人間だけなんだよね。
他の動物は、生殖能力がなくなると死ぬ。
でも、人間はそうではなくて、平均寿命は日本人は83歳。
閉経の平均年齢は50歳だから、30年以上も長生きする。
人生100年時代を迎えると言われるほどに、どんどん延びていってるしね。
これは、人間がこどもを産むということ以上に、そのひとが存在することが、社会にとって善いことを成していくからなんだそうだ。
個としての存在であれば、生物学的に見れば生殖できなければ、存在する意味がない。
だから、動物は生殖能力がなくなると、死ぬ。
でも、社会的な動物である人間は違う。
こどもがいてもいなくても、
存在することが社会にとって善であるからこそ、生殖能力とは関係なく生きることができる。
ひとりひとりの人間が為すことは違うだろう。
でも、
まわりのひとにとって、社会にとって、善であるには、しあわせであることって大事だ。
しあわせなひとからは、しあわせホルモンが発せられてて、これがまわりのひともしあわせな気持ちにすることがわかってる。
だとしたら
まず自分がちゃんとしあわせに生きることって、なによりも大切じゃないか。
自分のしあわせが間接的にも、直接的にも役に立つのならなおさらだ。
別にしあわせであることに固執しようとは思わない。
でも、
どうせだったら
しあわせだなぁと感じながら、
日々の時間をすごせたほうがいいよね、と思う。
ひとは誰しもきっと、自分が何者なのか、なぜ存在しているのかと考える時がある。
自分が何者なのか、何のために生きてるのかということについて、
人生40年を過ぎて生きてきて、
いまはそんなふうにぼくは捉えていて。
なんとなくではあるけれど、
自分が何者なのかということも含めて、納得していて。
カウンセリングをしているから、余計に感じる。
みんなきっと、自分が何者なのかという意味が、それぞれにある。
そして、それがひとりひとり違っていても、最終的には自分自身がしあわせであることが大切で。
その個人のしあわせは、まわりみんなのしあわせにつながる。
それが社会全体のしあわせにもつながっていく。
そこにこそ、ひととひととの関わりの中で生きる社会的動物である人間の生きる意味があるんじゃないかと、ぼくは思ってる。
だからこそ、
ぼくはぼくと関わってくれているひとが、
カウンセリングだったり、本だったり、漢方や薬膳茶だったり、セミナーや講座、講演会だったり、もちろん個人的な関係を含めていろんな形ではあるけれど。
みんなしあわせだといいなーと、自分の存在意義を通じて思ってるんだよねー。
そしてやっぱり、つくづくありがたいなーと思うのです^ ^
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※コメントについて
すべて読ませていただいていますが、【個別の返信はできません】ので、ごめんなさい~!