震災の時に、生まれた。 | 堀江昭佳オフィシャルブログ「『こころ』と『からだ』の悩みを解決する しあわせ女子のための処方箋」Powered by Ameba

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婦人科漢方専門・子宝のスペシャリスト 堀江昭佳が、西洋医学、漢方、心理学の3つの視点から、こころとからだの悩みを解決する方法をつづります。
「からだを整えるとこころが整い、結果的に夢が叶う」
そんな考え方を大切にしています。


岩手から友人家族が

出雲まで遊びに来てくれた。






東京時代を楽しく過ごした昔からの友人。

彼女も漢方を飲んでくれてて、

無事に一人目を妊娠したのだけれど・・・









出産前の3年前の3月に電話があったんだよね。






「ウテメリン(切迫早産予防の薬)を

ずっと飲んでて、

明日でなくなるんけど大丈夫かなぁ?」








無理やりいつまでもウテメリンで出産を延ばすのも

よくないし、

病院で止められるんだから大丈夫だよ~




でも、飲むの止めたら、

すぐ出産になっちゃう人も多いよ。




って、話をした翌日。








2011年3月11日。

東日本大震災だった。









前日に、早産の話をしてたばかりだったし、

心配で心配で電話したけど、

当然つながらなかった・・・








その時の話をしてくれた。










「3月11日にウテメリンをやめた途端に

おなかが張り始めたんだよね。





台所で食器を出そうと思ってかがんだら、

棚の上から直径20cmくらいある

アロエの鉢が私の真横に落ちてきたの。






慌てて、テーブルの下に潜ったけど・・・








がっしゃん、がっしゃん、

物が沢山落ちてきて・・・






あちこちで、

ものが割れる音や倒れる音がして・・・









もうダメだ

と思っておなかを押さえてた。














すっごい揺れて、

余震もすごくて・・・









後になってわかるんだけど、

テレビも見れないから、

その時は、

全く何が起きてるかわかんなくて。









電気止まってたから

ものすっごく寒いし、








水もこないし・・・













よくわかんないけど、

すごい状態になってる。



それしかわからなかったの。















次の日。

そんな時に、

陣痛が来た。












ああ、


ああ・・・







と思ったけど、

なんか冷静でだったんだよね。










地震で怪我で運び込まれてる人もいるから

迷惑かけちゃいけない。








出産は病気じゃないから。






そう思って、

時計で陣痛の間隔を測ってた。










12日の夜になって間隔が変わって、

陣痛の間隔が15分切った時に

もう行かなきゃと思って電話したけど、

病院につながらなくて、

とりあえず旦那に乗せてもらって

車で向かったんだよね。












その時、

わたしは初めて家の外に出たんだけど、

病院に行く途中の道路が




地割れだったり

波打ってたりで




いつも見ていた景色とは全く違う・・・



すごかった・・・














なんとか病院にたどり着いたんだけど、

トイレ行ったらお印も出てて。






なのに受付の人に

電気がとまってるから、

3階の産婦人科まで階段で上がってくださいって言われて。










うそでしょ~




無理~








と思ってたら

産婦人科の看護師さんが

自家発電で1台だけ動いてるエレベーターに

乗せてくれたの・・・









産婦人科について子宮口を測られたら


「9cm、出産でーす」


って言われて、


先生に

「いいタイミングで来たね」

って言われちゃった。









担当してくれた先生も石巻出身で、

実家も流されてて・・・










家族の無事はわかってたそうだけど。









そんな状況のなかで、

一生懸命、この子を取り上げてくれたんだよね。









なんにも情報がなかったから、

あんなすごいことになってるとは

あのとき全く思わなかったんだよ・・・












出産予定は4月だったから

余裕だと思ってたのに。








生まれたら産まれたで

水がないから

出産後も私は1週間シャワーとかも浴びれず。










こどもも沐浴が1回だけ。

着替えもできなかった。










電気がないから

暖房も最低限で寒くて、寒くて。










毛布も足りなくて、

看護師さんに

「こどもの手足が冷たすぎるから、

お母さん、なにかして

温かくしてあげてください」

って言われても温めるものもなくて・・・







たまたま家に買ってあったカイロで温めたの。








食事もお祝い膳どころじゃなくて。

おかゆと味噌汁と牛乳だけ。







栄養は全く足りないし、

おなかすいて、おなかすいて。







栄養不足とショックで

おっぱいがあんまり出なくて、

すぐにミルクを飲ませないといけなくなっちゃった・・・











1週間後、

退院する時に

わたしははじめて大震災の惨状のことを知ったの。










病院のロビーに貼ってあった新聞で、

はじめて知ったの・・・









でも、








わたしはしあわせだったと思う。

同じ日に出産した他のお母さんは、

懐中電灯の中で出産したって言ってたし。








うちは大丈夫だったけど、

場所によっては全壊とか

住めない状況の家も多かったし・・・









出産の対応ができないような状況も

当然、考えられたし・・・









うちは海から離れてたけど、

沿岸の方では、

里帰りで帰ってて病院ごと流されたり。









赤ちゃんだけは助けようと思って

高い木にくくりつけて

お父さん、お母さんが流されたり・・・










一生懸命、出産中に津波が来た人も

いたんだろうな・・・








粉ミルクもおむつも買えなくて、

大変だったけど・・・










自分なんかよりも

ずっと、ずっと大変な人がたくさんいるから

なにも言えなくなるんだよね。









いろいろ、あるよね・・・











あの震災のさなかでも

無事に生まれてきてくれて、

こうして育ってくれてる。








本当に感謝しなきゃいけないなぁって思うよ」