うれしかった。


初めて入った会社の元上司に会えた。


ずっと会いたかった人だった。でも、なんだかんだで、あれから18年も経ってしまった。



待ち合わせた駅に軽やかな足取りでMさんは現れた。



Mさんは僕の肩をたたきながら笑った。


「変わってないじゃないか!相変わらずかっこいいなあ」


「元部下にお世辞いってどうするんですか(笑)おごりませんよ」



Mさんの行きつけの小さな飲み屋に行って僕らは乾杯をした。



Mさんは僕が配属された部署の上司で、取締役でもあった。


おだやかな人だった。でも、頑固で、信念の人だった。


僕が入った会社は車の販売会社だったのだがMさんはメーカー本社からの出向だった。




何年かして、販売会社の再編成により僕らの会社が吸収合併されることになった。


大多数の人間は、品川に本社がある巨大な販売会社に行くことになり、66人だけが多摩に本社がある小さな販売会社に行くことになった。



吸収された側に対する待遇は冷たいものだったという。


メーカーの命令だから仕方なく受け入れているけど本当だったらお前らはいらない、とMさんに向かっていう人間がいたという。



「毎日毎日、連れて行った部下が辞めたいといって電話してくるんだ。


俺がなんとかするからもう少しだけこらえてくれ、そう言って一生懸命ひきとめた。


それでも多くの部下がやめていった。つらかったなあ。」そうMさんは言った。



やがてMさんはその会社に根本的な問題があることに気づく。


「許せなかったんだよ。僕はそういうのが、だーいきらいなんだ。」



その会社にいた9ヶ月の間で、役員を敵に回しながらMさんはその会社の問題をきれいに片付け、メーカーに戻ったという。



そんな苦労があったなんて知らなかった。


Mさんはいつも笑っている。



もう60歳になったという。


本当は今年で仕事から引退するつもりだったらしいが、請われてもう1年、別の会社に役員で行くことになったという。



「1年とか言って・・・言ったらまた仕事に夢中になって5年くらいいるんじゃないですか?」僕はそう言って笑った。



「いや、僕は絶対1年って決めてるんだよ。夢があるんだ。ずっと暖めていた夢。」


なんですか?僕は聞いた。



「もう一度勉強したい。」


「え?」


「僕はもう一度勉強したいの。もう一度大学に入るのが夢なんだよ。いまさらいっても役に立たないかもしれないけど、それが僕の思いなんだ。僕は大学に行く」



少しだけ僕は酔っていたからなのかもしれない。


でもその話を聞いたとき、涙が出てしまった。涙をあわてて僕は隠した。



俺・・・・・この人の部下でよかったな・・・・


なんてすばらしい人と一緒に仕事できたんだろう。



「思い」が大事なんだよ。


Mさんは言った。


仕事をするにしても「思い」がなくちゃだめなんだよ、と。



その晩、僕は本当に沢山のことを学んだ。


この人は、僕の生涯の上司なんだ、そう思った。


僕は、幸せだ。



もう一軒行こう。そう言ってMさんはタクシーでもうひとつのなじみの店に連れて行ってくれた。


このころにはMさんは結構へべれけになっていたのだけれど(笑)



着いた店がすごい。路地の手前にある看板をみると「ナイトサパー ○○」


おいおい。。。。サパーって今時・・・・



思いっきり昭和な店だった。


でも、ジャズが流れていて居心地がとてもいい。


「僕はねえ、ここのママさんが大好きなんだ」とMさんはうれしそうに言った。


うん。確かにママさんの笑顔はとても美しかった。



夜も更けてきた。


お店に来ていたきれいなお姉さんが「フライミー・トゥ・ザ・ムーン」をカラオケで歌った。


歌え歌えと言われて僕はビートルズの「イン・マイ・ライフ」を歌った。


ああ、今の気持ちにぴったりだなあ、なんてふと思った。



クロスは家が近いんだから、のんびりしてけ。


俺はこれ歌ったら帰るから。


Mさんはそう言って歌い始めた。



バーブ佐竹の歌だったかな?


酔っ払っているんで音程めちゃくちゃだけど、すごくよかった。


不器用なMさんらしい歌い方だった。



じゃあまたな。


Mさんはそう言って帰っていった。



そして僕はひとり「ナイトサパー」に取り残されたのだった(笑)


店の中には常連のきれいなお姉さんと僕だけ。



お姉さんといろいろな話をし、歌を少し歌った。


最後にお姉さんが本当にきれいなバラードを歌った。



ものすごくやさしくて、癒されるような歌声だった。


まるで、お風呂につかっているみたいな気分だった。


歌声って、こんなに人の気持ちを癒すものなんだなあ・・・・


ママさんも「まるで温泉に使っているみたいに気持ちよかった」と笑った。


酔いが回って眠たくなってきた・・・



そうそう。今さっき、Mさんから電話があったわよ。


ママさんがいった。


「クロス君、気をつけて帰るように、だって。さてさて、風呂が冷めないうちに帰りましょうか・笑」



Mさんと会えたうれしさと、お姉さんが歌った美しい歌の余韻でポカポカの体のまま、僕はタクシーに乗った。



Mさんと一緒に撮った写真を、デジカメのモニターに写してみた。


昔よりずいぶん細く、小さくなっちゃったMさんが僕と肩を組んでいる。



Mさんは、本当にうれしそうな顔で笑っていた。


それがなによりうれしかった。