コトバのチカラ | 便所の落書きを、真に受けてはイケナイ。

コトバのチカラ

その地方ごとのコトバ(方言)を紹介しながら、
未来に残したい、受け継いでいきたい言葉は何
かと、インターネット等による視聴者投票で
決める番組があった。

たしか公共放送で、「ふるさと日本のことば」
といっただろうか。

選択式ではなく、そのコトバへの思い入れも
含めて自由記述で投票するものであったので、
興味を惹かれた。


大学への入学を期に上京してから何年も経ち、
自分のアイデンティティを、「兵庫県のコトバ
(もっと言えば播州弁)」というものに見出し
つつあった頃だったので、迷わず、一番好き
だったコトバを投票した。

  「べっちょない」

別条ない、あたりがなまってできたのだろう、
大丈夫、という意味を表す方言だ。

実際には、

  「べっちょないか?」
   (大丈夫か?何ともないか?)

  「べっちょない、べっちょない」
   (大丈夫、大丈夫!心配ない!)

なんてやりとりする。

どちらかといえば、気遣いをもって、五十代
以上の年配者が好んで使う類のコトバなのだ
が、なんとも言えない柔らかさを持っている。


幼い頃、暗い気持ちになりかかっていても、
そのように声をかけてもらえばほっこりした
ものだ。


この文章をお読みの関西圏以外の方にこの
感覚を共有してもらうのは、難しいかもしれ
ない。

それは当たり前だし、しかたない。

コトバは、


「自家薬籠中の物」として使えなければ、

自分の人生の中で「噛み砕き、呑み込んだ」
ものでなければ、

味わえないのだから。

コトバは、その地域、その地区で醸成される
ものだ。


さて、兵庫県の人たちの総意はどうなるか。
心待ちにしていた放映を迎えた。

県内のとりどりのコトバが紹介された。
あぁ、こんなのもあったなぁ、そんなのまで
ランキングに入ってくるかぁと、驚かされた。

住んでいるのが500万人以上、さらに、今
は県外にいる出身者まで含めれば、何百万色

もの好みがあるのだから、自然なことではある

のだが。

そのいずれも、ノスタルジィーをくすぐって
余りあるものだった。


そしてついに、最も多く投票されたコトバが
選ばれる段になった。

画面に現れたのは、なんと、

  「べっちょない」

だった。


投票した人たちの感想が紹介された。

放映の時点で既に数年は経っていたが、その
頃まで強く印象に残っていたのだろう、阪神
大震災後の体験によるものが、多くを占めて
いた。


憶えている限り、簡単に、2つの例を紹介
しておこう。

あの日、被災した人たちは、がれきに埋もれ
ながらも、

  「べっちょないか?」
   (大丈夫か?助けを待てるか?)

  「べっちょない」
   (私は大丈夫!他の人のことも看て
    あげて!)

と交わしながら、いつ来るかもわからない
助けを待ったらしい。

また、

復旧・復興のさなかにあっては、

  「べっちょないか?」
   (大変な思いをしてないか?収入は
    立て直せるか?)

  「べっちょない」
   (命さえあればどうってことない!
    こんぐらいではへこたれん!)

と労り、お互いに苦しいことがわかっては
いても、笑顔で励まし合っていたという。


日頃の挨拶にも似た、お決まりのやりとり
だと言われるかもしれない。

しかし、この「噛み砕き、呑み込まれた」、
味わいのあるやりとりこそが、家族や仲間、
財産を奪われた震災から、癒してくれたと
いうのだ。

自分の投票したコトバが選ばれたぁ!とか、
兵庫県の人たちと気持ちを共有できたぁ!
とか、軽々しくよろこぶ気持ちは、すっ
かり忘れていた。
大泣きに泣き、声にもならず、しゃくり

あげるばかりだった。



コトバには、それほどのチカラがある。


災いは一瞬。
しかし、癒しまでは長い。
しかも、完全な癒しなんて、きっとない。

今回の東日本大震災で被災された、青森や
岩手、宮城や福島の人たちには、その地域、
その地区のコトバで、焦らずに、心で支え合
って欲しいと、切に願う。

足りない物は、同じ日本の空の下にいる我々
が、しかと支えよう。