先日、長女と話していて
「みんな○○してるよ」
という言葉が出てきたので、
わが家ではお決まりの
「みんなって誰??」
という質問で返しました(笑)
長女:「○○ちゃんと▲▲くんと●●ちゃん」
私:「3人だけ??」
長女:「うん。みんなじゃないんだけど・・・」
そう、ここで自分自身で気づくわけです。
みんなじゃなかった!と^^;
私が子どもの頃、両親から
「みんなはみんな、うちはうち」
と言われてきました。
子どもながらに
「でも、みんないいって言ってるもん!」
と思っていました。
どうして「みんなと同じ」という主張をしていたんだろう?と
よくよく考えてみると、特に子どもの頃は
自分の主張や希望を通したいときに、
「みんな○○している(持っている)」を使っていたんです。
でも、成長していくにつれて、
「みんなと同じほうがいい」とか
「一人だけ違うとイヤだ(恥ずかしい)」とか
そういう感情が芽生えてきました。
そして、大人になると、
「みんなが行くんだったら・・・」とか
「みなさんどうされますか?」とか
相手の出方をうかがって、そちらにあわせたりすることが、ある意味普通になってしまうことがあります。
(普通になる=無意識にやっている、という意味です)
そうすると、「みんなと同じ」という言葉だとしても、
子どもの頃のそれとは異なるわけです。
みんなと同じほうが(考えなくて)ラク
みんなと同じほうが(目立たなくていいから)安心
こんな理由から、「みんなと同じ」を選んでいる場合、それは自分軸で選んでいるのではなく、他人からどう思われるか?という他人軸での選択をしているんですよね。
子どもの頃は、「(自分が)○○したい!(欲しい!)」から「みんなと同じ」を持ち出すけれど、
大人になるにつれて、「自分で選ぶ」ということをしなくなってきているのではないかなぁと。
「意図的に自分で選ぶ」ということが大事だよというお知らせだな〜と思った出来事でした♪
そして、
同じ言葉でも、人によって全然意味が違うことがある。
今回は、子どもと大人のバージョンでしたが、これは大人同士でも(例え夫婦でも)、当たり前にあることなので、どういう意味でその言葉を使っているのか?を確認するのはとっても大事なことですね^^