『JUNGLE FEVER』だよ! | GEE-Q・EIJI的黒電影熱病思考方

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毎日が何でもあり!40代“永遠のB-BOY”GEE-Q EIJIのHIPHOP LIFE!
メジャーからアングラまで、独断と偏見で“黒文化的電影=ブラックムービー=黒人映画”を斬り捲くる!
まさに“なんでもあり”のバーリトゥード・レビューなのだ~!!

日本人以外の人との恋愛…皆さん経験ありますか?俺?ある訳ね~だろ!(笑)っつ~かね、最近よく見かけるんですよ。アフリカ系の男性と親しげに話している若~い女性の姿を。あえてアフロアメリカンと言わないのは、明らかにアメリカ系ではないと解かるから(笑)。というのもここ何年かで急激に増えてきた“HIPHOPファッション”のお店、何故かそういった系統のショップってのは、必ず店先でアフリカ系の男性が呼び込みをしているよね。確かにHIPHOPファッションで全身キメこんでいるけど、果たして彼等が普段から…いや、祖国でもその“格好”をしているのかどうか…。

そういった仕事をしている彼らと話したり、もしくは一緒に遊んだりしている女性、多いよね。でもね、なんだか「あ、いい感じだよな~」って気になれないんだよ。なんだか「私は“黒人”と知り合いなのよ!」みたいな感じで一種のステイタスを感じてる様に思うんだな。いや、これは余計なお世話だし、んなこた言われる筋合いないよ!ってのもごもっとも。だけどさ、もし少しでもそんな気持ちで彼らに近づいた所で何のステイタスにもならないし、何のメリットも生まれないと思う。

俺の住む街でも、つい先日HIPHOPファッションショップの店長がニセブランド販売で逮捕されてたけど、国籍はアメリカではなかったよ…。Hiphopという文化が世界的なマーケットになっているという事実も、こういった事件が発生するたびに複雑な心境になるよね。

人種を超えた恋愛ってのは、理解や尊敬・それに努力や妥協と様々な感情や思いが深く通じ合い、それでいて頑固たる覚悟がないと…だって同じ日本人同士でもそうなんだから、異文化で生活してきた人達との恋愛は、もっと沢山クリアしなきゃいけない事が多いんじゃないかな。

今夜の映画は、そういった異人種間の恋愛がテーマになったSPIKE LEEJUNGLE FEVER

ハーレムに妻と子供と幸せに暮らすフリッパー(Wesley Snipes)は敏腕建築家。ある日フリッパーの元に秘書としてイタリア系の白人女性アンジー(Annabella Sciorra)が配属される。彼は上司に「アフロアメリカンでないとイヤだ」と直訴するが通らず、嫌々ながらアンジーとの仕事がはじまる。最初は偏見で見ていたフリッパーだったが、アンジーに好意を持つようになり、2人は大事な一線を越えてしまう…

DO THE RIGHT THINGで強烈なメッセージを提示したSPIKE LEEが、彼のテーマでもある人種問題を今までと違った『恋愛』というフィールドでPOPに、そしてDOPEに切り込んだ作品。いつでも差別される側であるアフロアメリカンなのだが、この作品では“禁断の恋愛”を犯してしまう2人それぞれに、周囲や家族の“非難”や“拒絶”が待っている。又、同時進行でイタリア系の男性とアフロアメリカンの女性との愛も描かれ、それぞれの結末の違いが比較出来るのも興味深い。ただ、そのどちらも全ての祝福や共感は得られないまま、それぞれが何処まで相手を思う“愛”で行動出来たか…といった所が焦点になっていると思う。

少し前に“ジャパゆきさん”という言葉があった。フィリピンから日本へ出稼ぎに来る女性を指した俗語だったけど、あまりいい意味では使用されなかったよね。ただそういった名称の存在で、語学や文化を学ぶ為やビジネスの一環として来日しているフィリピンの人達まで、そういった目で見られたりしてた。

恋愛だってそうさ、アメリカ人だってイギリス人だってフランス人だって、“日本以外の国の人達”という意味では同じだし、もちろん向こうから見れば俺達だって立派な“外人”。

でもね、アフロアメリカンは更に肌の色というカテゴリーで区別されたり…日本の中でも、教えられた訳でない意識的に存在する“いろめがね”は、時に“差別的”に、そして時に“ステイタス”としてのダブルスタンダードになっている様に思う。

ボキ自身、「日本人以外との恋愛は?」と聞かれた時、「愛さえあれば…」なんて簡単な答えを出したくない。諸外国の人と親しくなる出会いも無かったし、実際にそういった恋ももちろん経験が無い。経験無いから心情や思いの度合いは分からない。好きになってみないとわからないのは当然だと思うし、前もって『人種なんて関係ない!』なんて宣言する事事態が『壁』を感じている証拠だと思う。ただ、今現在そういった人種の壁を越えて恋愛している人達の大多数が“○○人だから”なんて程度の低い考えなど微塵も無く、本当の意味での言葉や習慣・生活環境を越えた愛ってものを体言している様に、出会い、そして惹かれあい、好きになっていくんだと思う。

『極道の妻たち』のワンシーンで納得させられるセリフがあった…「好きで極道といっしょになったんじゃない…ホレた相手が極道だったんや…」例えは極端だけど、それが本来の自然にあるべき形なんじゃないかな。