し | 沈んだ月

沈んだ月

Angelo大好きです。山口でバンドメンバー募集中です。

全く血の繋がりもないし、関わりもなかったけど、わりかし近い関係にあった人が亡くなった。
一度か二度くらいしか会ったことはないけど、とてもいい人だった。
でも、やっぱりそれだけ関係が薄いからこれっぽっちも悲しいとか寂しいとかいう感情が沸かず。
これから、その人の孫を慰めなければならない。
しかし、どうやって?同じ立場にたっていないので、下手なことは言えない。
でも、こうは思う。
この世の人は誰一人としてあの世がどんな場所なのか知らない。
地獄だとか天国だとか言うけど、それって仏教やらなんやらの宗教の話から来てるよね。
宗教や神だって結局は人間がつくったもの=天国や地獄とかの話も人間がつくったもの。
臨死体験でお花畑が見えたとか言うけど、あれは誰かがそう言ったから。
その誰かが言う前は必ずしもお花畑が出るわけではなかった。
すなわち、あれは人間の思い込みであの世とこの世の狭間なんかじゃなくて、自分自身の意識の中。死んでないじゃん。
完全に死んだら死後の世界がわかるんだろうが、完全に死んだらこっちには戻ってこられない。
だから、完全に死後の世界を知る人は居ないわけで。
死後の世界は未知。
だから、可能性はたくさんある。
もしかしたら、ホントに天国や地獄があるかもしれない。
もしかしたら、実は死んだら最後、無となるかもしれない。
もしかしたら、平行世界があって、今まで通りにその世界で生きてるかもしれない。
もしかしたら、幽霊になってこの世に留まっているのかもしれない。
もしかしたら、生まれ変わるかもしれない。
誰も知らないから、否定も肯定も出来ないけど…
少なくとも、絶対にもう会えないとは限らない。
死んだら会えるかも。
ふとした瞬間にその平行世界で会えるかも。
もう既に近場の人に生まれ変わって出会ってるかも。
自分はそう思う。
考え出したらキリがないけど、慰め…悲しみを紛らわす理由にはならないだろうか。
誰も絶対とは言えない世界があるのだから、絶望だけじゃなくて希望を抱いてもいいと思うんだよね。
そんな悲観してばかりじゃなくて。
感情を抑え切れないのは分かるけどさ。
大概の人は、死の観念も常識とか宗教の範囲内で縛られてるよね。