先の記事にも書きましたが、
悟りとは理【ことわり】です。
そして、人間とは欲です。
これは思考するという時に、貴方の中に存在する自我の立ち位置のようなイメージです・・・
自分という存在を中心に考える時、人の思考は自らの欲を基準として推移するのは当然で、
自分という存在を失くして、理を中心に思考するという事が悟りとでも言えば良いのでしょうか。。。。
厳密にいえば自分という存在を、どのように定義しているのかという事なのですが、
この説明はかなり難しい為、いまはすぐに適切な表現方法が見つかりません。
ただ、単純に表現すると人の中には欲が何層にも重ねられていて、
それを剥がし続けていけば、自分という存在の本質といつか出会う事になる。。。
ただ大前提として、自分という存在を身体ではなく、精神であると捉える事が出来るかどうか??
が、ここに書く内容を理解出来るか出来ないかを分ける事になると思います。
そして、ここまで書いて改めて感じているのが、文章で書く事は非常に無理があるのと、
私の語彙力が稚拙である事と、前提が複雑すぎて、誤解や勘違いを産む温床になる危惧がけせません・・・・
とはいえ、間違いを書く気はないので、字面をなぞるのでは無く、何を感じるかで読んでもらえると嬉しいです。
理【ことわり】と書きましたが、それをどのように捉えるかというと、
世界は因果の無限連鎖でしかないという事で、ただそれをそれとして見るという事です。
そこには、自分の都合や欲は存在せず、ただ何かしらの因があり、それに対する果が起こるという事実です。
こう書くと、そりゃそうだろうと言われそうですが、、、
いかなる事象に対しても、自分の感情が介在しないという事が、欲というモノの有無による大きな違いです。
欲というモノが存在すると、起こる事象に対して、人は一喜一憂するという事を繰り返します。
それ自体が良いの悪いのという意味合いではなくて、その時に見ているのは因果では無く、
自分にとっての都合の善し悪しでしかないという事です。だから因果を無視して好悪を見る事になる。
世の中で起こる事には、因果は必ず存在します。そしてその因果だけが、理であり本質だという事です。
それをする意味は何??と言われそうですが、欲が消えない人には、大きな意味は無いと思います。
なぜなら物理世界に於いて、何かを手にする力では本来はないからです。
どちらかといえば、見えざるモノを見る為に必要な智慧です。
物質世界という言い方でいうと、人間の肉体は間違いなく物質であり、欲はその肉体に根差すモノです。
そして、精神はそういった物質とは隔絶された存在であり、物質を切り離し精神で見出すのが悟りです。
瞑想が自分の内に向かうイメージを教えるのは、まさにその為だと言えます。
ただ、内に向かうというイメージがどういう事なのか?というのが非常に捉えにくいというか実感に至らない。
思考を外に向けるとは、欲の追求。(物質世界に思考を向ける事)
思考を内に向けるのは、欲の消去。(非物質世界に思考を向ける事)
だと理解してもらえれば良いと思います。
思考を内に向けて、外にある物質世界のあらゆる柵や法則や正義等から自分を引きはがしてみると、
それがいかに虚飾と欺瞞に満ちた、存在であるかを実感を以て理解する事になると思います。
この世界で、常識だ良識だ一般論だ等と言われているルールや法は、誰かの利益や欲を護る為の法則です。
それを護る人が素晴らしい人だと教育されますが、それを護る事を遵守したとしても、悟りには無関係です。
欲の取り合いが上手くなるという事が齎すのは、物質的ヒエラルキーの上下という事でしかないからです。
言い方を変えれば、物質的側面の充足をいくら追い求めたとしても、精神的な充足には何の足しにもなりません。
ワンネス・宇宙意識の事は前にも書きましたが、その内容自体は実際に本当で事実ではあります。
ですが、それという事が素晴らしいとかハッピーという概念かと言われると私は否定するしかありません。
自分の内へ向かえば、自分という存在が宇宙の一部で在り、その存在が他の何かと同じだと実感できます。
ただそれは、自分という存在が特別ではないという事を理解する材料でしかない事を学ぶからです。
実感するのは、私は宇宙の意識と繋がった!!ではなく、私は宇宙の一部としてその意識を理解した。です。
人間の本当の力や卓越した智慧というのは、人間の本質の内側に存在しているので、
内へ向かい続ければ、誰しもがその力や智慧というものにたどり着く事は可能になっています。
私はそれを見る為に、欲というモノを排除するという方法を選んだのだと認識しています。
ですが、もしかすると私が知らない方法で、そこに至る方法というのがあるのかもしれないですね。
そういう人が居れば、欲というモノの実現に、その大いなる力や智慧を使う事が可能なのかもしれません。
私もそれを出来る力を見たと理解はしていますが、欲を捨てた私はその力を行使して満たす方向が変わってしまいました。
私がこれから向かう先とは、今まで見えなかった何かを知るという事に尽きるのだと思います。
少し内容が長くなってきたので、この記事はここで切りたいと思います。
また別の記事で、違う表現の仕方や詳しい表現が出来ないかに挑戦しようと思います。