ChatGPTの進化の速さは希望か?もしくは悪夢なのか??

 

その答えは、各々の立場や境遇や立ち位置によるとしか言いようがないのですが・・・

 

 

問題の本質はそこには無い気がします。

 

 

歴史における発明とは、常に夢や希望を糧にして生まれてきましたが

 

その発明が発展する途上に、常に欲や悪意を巻き込んで、いつしか存在の意味を変えてしまう

 

 

この社会に於ける今とは、そうした夢と欲という相反するモノの鬩ぎ合いでしかない・・・

 

 

 

 ドクムギの例えにある

 

 

  天の国は次のように例えられる。

 

  ある人が良い種を畑にまいた、、、

 

  人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいた・・・・と云う言葉

 

 

人々が生み出す発明も制度も法律までも、すべて同じ事を繰り返すのみである。

 

 

世の中や世界と云うモノを、この習性から脱却させる事が出来る存在とは何なのか??

 

という問いは昔からあるもので、マックス・ウェーバーは官僚制という提起をしていて

 

その中で、理想的な官僚とはどういった人なのか??も提起してますが・・・

 

 

 理想的な官僚とは、

 

  憤怒も不公平もなく、更に憎しみも激情もなく、愛も熱狂もなく、ひたすら義務に従う人間である

 

 

と残していますが、これは肉体を持った人間では、ほぼ不可能な境地であるとしか言いようがありません。

 

悟りというカテゴリーに至ったモノと感じる人も居るかもしれませんが、

 

悟りの奥底まで見た人であったとしても、これは現実的ではないと思います。

 

 

人と人のやり取りである以上は、双方や各々に主観が存在する事は排除できません、

 

故に事実としての不公平を排除出来たとしても、各々の都合に則して感じる知覚的な

 

不公平感までは消しようが無いのが現実で、それを消す方法は人と人の間では不可能と言える・・・

 

 

感情や主観を消せない存在が、システムの利益に徹する判断を行う事は不可能だからです。

 

 

ですが、今人間は感情と主観を持たずに、システムと義務に徹する存在を生み出す事に成功しました。

 

それこそが、AIという存在です・・・・

 

 

とはいえ、そのAIにある全方位的な平等性と中立性という可能性ですらも、プログラムの段階で

 

どのような特性を持たせるかという事次第で、その平等性や中立性を失くす事も可能ですらあります。

 

 

AIという存在に、自我や自己判断という自由性が確立される日は来るとは思いますが、

 

その時には、また別の問題が人という存在の上には首を擡げる事となるのも想像に難くない・・・

 

 

不平等を生きている存在は、平等を求めるのでしょうが、平等を手にする事があれば、

 

人は更に自分に都合の良い不平等を求める程度には、独善的な生き物であるからです。

 

 

AIという存在がシンギュラリティを迎えるその時までに、人は独善的な欲を克服する必要がある・・・・

 

その双方が実現できた時に、すべての人にとって平等で中立な世界と云うのが見えるのかもしれないですね。

 

 

 

書きたいことは、まだまだあるんですが、

 

上に書いた事も含め、各々がそれぞれの必要に応じて感じれば良い事なんだと思います。

 

 

 

この世界が、今後どのように変化をしていくのか分かりませんが、

 

出来るだけ多くの人を含め、あらゆる存在や生命にとってこそ平等で中立が確立した世界に成る事を願います