生きている僕と云う存在の命は誰のモノなのか・・・・


独りで生きてきた自覚も無いから、僕だけのモノではないんだけど。。。。


自分の命の一つすらも自由に出来ない自分という存在は何者なんだろうか????



自分の命は自分のモノでしかないと思い込む事ならいくらでも出来るのにね・・・・・

それが事実でない事は、自分に付帯する他者の感情や想いが証明してしまうのが人間の幸で不幸


生きていたいと思うのも、死にたいと思うのも自由だけど、生きていて欲しいと願う他者の想いも自由だから


人間は思考するエネルギー体でしかない。

身体という物質の仕組みや組成に基づく、存続と破壊のプロセスを自分と勘違いして存在するけれど

実際には思考と感情のエネルギーが渦巻き、その結果とそのベクトルの結果を現実として見るだけ



思考という物質は目には見えないからこそ、身体や物体と云う解りやすく感じれる事象に存在感で負けてしまう。



それでも、それを組成して組み上げているのは思考と感情のエネルギーでしかない。




医療すらも、最近は自己再生能力という免疫力にフォーカスしてるけど、

昔は実は精神的な充足が病気を治すという事が自然に行われていたのも歴史的事実。


病は気から・・・・・・これ事実です。



不幸を抱えれば病気になれる。

幸福を抱える事が出来れば、病気とは遠い場所で生きれる。



実はこれも、半分本当で、半分嘘なんだけど・・・・・



本当に幸せとは、今この一瞬に何すらの思い残しも無く笑って死ねるという意識であり概念

何かに拘り、何かに想いを残し、何かに執着する事が、その不幸の証左でしかない・・・・・



本当の幸福は一瞬の光芒

その一瞬の光芒を感じた事を、自身の幸福だと捉えきれる事が真の幸福。。。。。



解りにくい話ですよね・・・・・・


それでも、人の幸と不幸はその程度の話で、自分の想いと自覚だけで作られていく現実。


こんな事を掴むために生きる人間の生は本当に儚いけど

儚いからこそ、尊いのだと最近は心底思います。



人の願いは消し難い・・・・そして本当に消せないモノだけが、人間の真理だと思います。。。。