在るけど無い、在るという幻想に意味が無い。。。。

それでも在るから、在るという幻想を深堀して、その事実に踊らされてしまう。



仕方ない、本当に仕方のない事なんだけど、故に解脱・涅槃等という概念と教えがある。



人間が作り出したモノ・・・・

人間である時間を謳歌する為に、あらゆるモノを人間は生出してきたけど。

その理由は、人間であるが故に時間という有限性に対する恐怖と、それを克服したい願いかもしれないけど。



忘却という事象の怖さでしかない。

存在とは全能で万能ですらあるというのに。


それはそれで退屈だという概念は忘却という無知を産み・無知という概念は無謀を産む。


地球・人間・動物・植物・鉱物・あらゆる物質に存在の意味はあり、その価値は等価なのに。

その活動や行動の自由度で優位にあるだけの人間という存在が最重要と定義してしまう程に浅はかになる??



全てに於いて地球上に存在する全ての行いは、その存在の一部が疑似体験するだけの世界なのに。

それが、あたかも自分の全てで在るかの如く、拘り執着して、その事象に一喜一憂する。



そんな事を実感として感じた時に見えるのは、存在の無邪気さと悲しさでしかない。。。




最近、ふとしたときに仏教的な教えに想いを馳せます・・・・

何故、世捨て人のように全ての欲をすてなさいと教えるのか??

異性との交わりを捨てなさいと教えるのか???



今となっては、その教えの意味が心底理解出来てしまうんです。

人間って、自分たちを喜ばせるものを作り出して、それが無い事に妬み嫉みを覚えて自分を不幸にする。

そして、物質的なモノに拘り、それを手にしたいと躍起になって足掻き藻掻いて生きてるけど。



そんなものを夫婦間でも取合ったりするから、結果的に揉めて争って不幸になる。



結果的に人間の感じている不幸ってのは、全てに於いて欲望が根っこでしかないんです。


物質的な欲・地位的な欲・名誉という欲・・・・全てが人間の作り出した幻想です。




そんなものに支配されて生きてはいけないというのが仏教の教えの根幹でしかない。

欲望の正体を見なさい、全ては人間が作り出した虚飾の価値観でしかないんだと・・・・



人間が作り出す全てを否定したいなんて事では決してないんです。

人間が作り出した全ては、善意を根っこにした素晴らしいモノなんです。


だけど、いつしかそれはお金に象徴されるように、自分が作り出した価値観に支配されてしまっている。


お金に対する羨望が、お金持ちは素晴らしいなんて馬鹿げた価値観を生出してしまう。

お金は価値の平準化を目的として、人間が作り出したツールでしかないんです。


そのツールは便利に使うなら素晴らしい文化でしかない。

だけど、お金に支配されてしまい、資産の多い少ないが人間の価値まで左右しだせば、愚の骨頂でしかない。


お金を持ってる人と、そうでない人という概念が、人の価値を左右する文化は愚かでしかない。




人間するって大変で愚かしいんだと、本当に心底思います。



いつか、人間の価値は人間が作り出した幻想の有無ではないんだという世界になって欲しいと

本当に心底思います。それがいかに困難な事であるかも理解したうえで、心から思います。




存在する・生きている・誰かが傍に居るという意味は、物質的な意味とは価値の基準が違う。

そして、人にとって本当に必要な価値観とは、そういった価値観なんだと思うから。



人が作り出したモノは、あくまでもツールとしての価値のみを担保して、

人が何かを誰かと楽しみ慈しみ合う為に存在して、そのそれぞれの存在に感謝する文化が

作られていって欲しいと、そんな事を心底感じた記録です。



難しいとは思いますが、心の価値が、最上だという世界を心から願うばかりです・・・・


稚拙な記事で失礼いたしました。。。。