全ての人にとって認識する世界は違う・・・・世界は一つなのに、、、、
フィールドは一つでも、そこに存在する生命にとって世界とは千差万別となる。
僕が生きている世界の見え方は僕だけのもので、他の人には違った世界の見え方がある。
僕の世界は今リアルタイムに変化変遷を行っている、そう僕と云う存在が変化している分だけ。
正直に言えば、僕が今まで生きていたのは闇の世界。。。。
苦労に苦労を重ねて、辛酸を嘗め尽くして、地に這いつくばり、そこを這い回るように生きてきた。
それも今思えば、僕と云う存在が世界を悲観した目で見ていたからこそ、そう思うだけ。
そして今、そういう見方から解放されて、光を見据えるようになった僕には見える景色が違う。
だけど、世界というフィールドは現実には何も劇的な変化をしてはいないんです。
それは人間レベル、個人レベルでという意味で、総合的変化という意味なら毎日激変していますが。
だけど、僕の意識と認識という立ち位置が180°変われば、僕の見る世界は180°変化する。
今まで感じた不幸すらも、今の僕には幸福に見えてしまう。。。。。
世界は相対性だからこそ、それぞれの事象に相対的な意味が必ず存在している。
だから、不幸の裏には幸福が、幸福の裏には不幸がある。
そして、光と闇、明と暗のどちらの世界を生きるのか??という事は、そのどちらを見るかでしかない。
だから僕にとっては、あらゆる事象の幸がより見えてしまうように意識変化が起こっただけ。
というように、あらゆる人が悩んでいるであろう事は、意識内の問題である事が非常に多い。
辛い苦しい事は起こります、、、、生きている限りは上手くいかない事が起こるルールの世界だから。
それが、本当にどれほどの不幸ですか???その事象はあなたを殺してくれますか???
人の幸不幸は自意識のプライドに起因するモノが実際には多くて、その気持ちは良く解りますが
それ自体をどれほど大事にして、どれほど拘ってみたところで、それは自分を幸福にはしない。
死なない限り、人はあらゆる瞬間あらゆる状況から、いくらでもやり直しが出来てしまう。。。
そんな見解すらも、人にとっては心に棘をさされたような気分になるのかもしれないですが・・・
自分で自分を不幸にする呪縛が実際に存在しているのも、この世界のまやかしです。
だから、逝きつくところまで行った時に、ぜひそれは本当に不幸なのか??と自問してください、、、
その問いかけを心から出来るようになった時に、おそらく人の認識する世界はひっくり返るから。
世界は対を成す事を義務付けられたフィールドで、そこを螺旋回転しながら生きるのが生命
そして、その回転速度も半径もそれぞれの裁量で決める事が出来て、それを制限するものは無い。
そんな世界の中に在って、自分が何者で何を目指すのかは、自分を見つめる先にしかないから。
自分の見る世界が全て反転した時に、僕の経験が同じことで悩む人にとって何か役に立たないかと
そんな言を感じて、自分という存在の反転が生み出せる何かを捜したいと思った記録です。