想いだけが、想いこそが、人間という本質の全てに近い
自分がどうとかと考えるのは、実は全てが物質に根差している。
生死も貧富も、損得も優劣も、それら全ては物質的な事でしかない。
それを大切にして拘ってみても、そんなモノは今の文化観における指標で
あって、実は意識と意志や想いといった力に心底気付く事が出来れば即座にひっくり返る事
だから、意味が無いし、物質的な価値は在っても、本質的な価値は存在しない
心・思考・思念・意志・意識・想い
これを操り切れなくなっている事が、人が物質的な世界に囚われる最たる理由
人は、一瞬一瞬のうちに、自分という存在を更新して、変化変遷して存在している
それは物質的要素・非物質的要素に関わらず同じで、だからこそ、一瞬前の
自分は、今この瞬間には存在していないし、それと今との因果関係というのも
無い訳ではないけれど、本当の価値観の範疇では、その事実のみに意味など無い。
今という一瞬と、それ以外の一瞬に物質的な因果を強く感じる事すらも、実はまやかしでしかない。
一瞬一瞬という存在の定義の世界に在る真理とは、自分という存在の意志や意識が作り出すソレでしか無くて、
それぞれの文化観に根差す因果思想や、ありもしない恐怖に対する警戒反応が作り出すまやかしでしかなく、
そのシステムが後付的に儘ならなぬ世界だと感じさせるトリックに他ならない。
これを文字だけで伝えるのは無理だと思うので、この辺にしますが
人は思考という可能性を与えられた獣でしかないから・・・・
その一瞬ごとに存在する可能性にのみ想いを馳せて存在する事しか出来ない。
故に今という一瞬と、体感的に感じる次なる一瞬を激変させる力を人は持っているから
それを信じれる自分に成る事が、全ての事象を片付ける最短距離になる。
いつか、この世界のシステムを、多くの人に伝える事が出来れば幸せだな・・・・と
そんな事を願った記録です。