この名前で記事を書くのが果たして何度目なのか・・・・
言葉の意味など、認識が変われば恐ろしく変わっていく、言葉は万能ではない。。。。
今だけを生きて、今という次元に意識と思考をアジャストするとは、なんと困難な事か、、、、
この世に存在する全ての事象と、全ての価値観に、どれほど疑問を感じてみても
今ここにある肉体と物理的な価値観は、否定しようも無く、人を苛み続ける。。。。
利権や富が流通し、取り合い凌ぎ合う世界的価値観の中に存在するという欺瞞。
如何にそれに意味が無いと理解していても、この物理的存在を維持する為に
その意味の無い事に一喜一憂して、何かを手にしなければいけないシステム。。。。
精神的な価値と物理的な価値は、リンクしないまま流れ続け、その事実すらも人を苛む。。。。
この不毛な価値観が蔓延する世界から脱却しないかぎり、確かに人間は完成しないのかもしれない、、、、
そして、そんな世界の中に在りながらも、物理的な自分の価値とは??という紛った疑問に何故苛まれるのか??
いつか、世界は変わるだろう。。。。この不毛な遣り取りから解放される日が来る、、、、
物理的な価値観が、本当には人を幸福に出来ない事に、いつかは多くの人が気付く事になる。。。。
そして、いつの日にか、全ての存在は繋がり、連携して、この世界を構築しているのだと
実感した時に、この星に生きとし生ける全ての存在が本来受けうる幸に満たされる事になる。
そんな日を、人間として生きている間に感じる事が出来るのだろうか???
この社会的なシステムから脱却してしまえば、即座に自分だけは感じる事が出来るだろう。。。
だけど、おそらくそれをするだけならば、そんな幸に大きな意味は無いのだろう、、、、
自分だけ。。。。その言葉や感性こそが、人間であるという最大の足枷であり、最大の罪だから
全ての存在は繋がり、連携し、連動して、この世界を織りなし構築している。
だから、感じるべきは自分の感性ではなく、世界を閉塞させるその事象にある。
そんな事を想う事すら、偽善なのか、逃避なのか??という疑問を残したまま、、、、
僕と云う存在の今は、変遷し、推移していくのだろうけど、
その概念と観念に、ただ恐怖と幸福と疑念が綯交ぜとなって押し寄せては引いていく。。。。
そんな日々を、昼は太陽、夜は月を見ながら、その美しさに圧倒されて過ごしていよう。
いつか来るであろう、人という存在の終着点に向けて。。。。
そのタイミングが今であれば、僕にとって何よりの幸福だと、そんな事を想った記録