拘りを捨てたり、プライドを捨てる事は自分を失くす事ではありません。
拘りやプライドを捨てたり、人の為に何かをする事は、
決して自己を失くせとか、人のご機嫌を取れって事じゃありません。
別に相手の事を考えて行動をする事の全てが、相手の気分を良くする訳じゃないですから。
相手の為に、言いたくない苦言をする事も、そこに心底相手を想う愛があるなら言うべきです。
そして、それはたぶん相手を良い気分にはしないでしょうが、いつか解ってもらえれば
相手の幸せに資する財産として残るでしょうし、その時初めて自分の想いも伝わるでしょう。
誰かを愛するという事は、誰かが喜ぶことをトレースしなさいという意味ではないのです。
波動をあげる、エネルギーの周波数を上げるというのも、全く同じで自分はあくまでも自分です。
ただ、何を変える事かと言えば、自分の行動に利己的な感情を持たないで、双方にとって
有意義で意味のある行動を、考え選択して自分に出来る事を無理せずに行うだけです。
怒りに根差した行動や言動は、相手の為には決して役に立たないし、良い結果には繋がらない。
そこに利己的な考えや、自分の都合や負の感情を出してみても、良い結果は出ないです。
過去の何かや、今の不満も、それ自体をぶつけ合うだけなら、悲しい事象を更に悲しいものにする。
そうじゃなくて、これは悲しかった、これは辛かったから、どういう風に改善できるかなと
お互いが、自分と相手にとって良い何かを捜し、出し合って無理のない方法を模索出来れば、何かは変わる。
これは別に、自分を捨てる事でも、相手の希望をトレースするという単純な話でもありません。
お互いにとって有意義である結論に、双方が真面目に目を向けて、お互いに理解を深めるだけ。
それで、納得いかないとか、相手の為に何をする気にもならないなら、それは離れればいいだけの事。
そんな感情しか自分の中に出てこない相手は、たぶん本当に愛せていないし、それほど重要な存在じゃない。
特定の相手との関係は難しく一番複雑なので、例外もあるでしょうが、本来はこんな感じです。
だけど、日常の中で接する、友人や職場の誰か、近所の誰かとかっていう存在はそんなに複雑じゃない。
友人はまだしも、親友までいくとちゃっと複雑さが出るかもしれませんが、それ以外は概ね
気分的にはそんなに大きな波は無く、概ねもっと穏やかに対処をしやすい相手だと思います。
そんなやり取りの中に、自分の都合だけじゃなく、相手の立場や状況も理解して、双方にとって有意義な
何かを、愛と感謝を持って伝える事が出来たなら、大体の人とは良い関係性が作り出せると思います。
なんども言いますが、怒りや恨み辛みに行動を委ねないという事が、自分の否定ではありません。
それは感じたのなら、冷静に辛さ悲しさを伝えれば良いです。ただ無暗に攻め立てても意味がないだけです。
だから、冷静に自分の感情を見つめて、在るがままの想いを解決する為に、役に立てる事。
そうやって、今よりも良い関係性や居心地の良い場所を、お互いに作る努力をする事。
自分が言う言葉を変える事が、自分を表現しない事じゃない。
こんな事をするような人は大嫌いだ!!だから2度とするな!!と言うのも、
こんな事をされると悲しいし辛い。それって何か変えれないかな??と言ってみるのも、
結果的には同じことを伝えてるし、相手に言ってる意味って同じじゃないでしょうか??
だけど、その言葉の受け手にとっては、怒りをぶつけられたのか、悲しみを伝えられたのか・・・
とても大きな差が出来て、その後の対応や、それを受けて出せる言葉にも違いがでるでしょうから。
そうやって、穏やかさの中に、辛さも悲しさも、全部を伝えて、愛と感謝をもって接すればいいんです。
ざっくり、こんなところですが、言葉と行動を選べば、自己が消えるのかといえば消えません。
そこに建設的で、愛に満ちた言葉と、感謝が存在するなら、もっと良い関係性は作れるはずです。
これに反応してくれない相手なら、離れる事も良いとは思いますが、その前に
相手の事を大事に思っている事と、感謝を伝えてお互いの為に、何かを変えたいと伝えてみてください。
そうすれば、相手が自分の事を愛してくれているのなら、何かが変わると思いますから・・・・