人の不幸っていったい何なのか??
お金持ちなのか、貧乏なのか
美形なのか、美形ではないのか
心が満たされてるのか、満たされないのか
家族との生活に満足しているのか、不満があるのか
仕事に充実感と遣り甲斐はあるのか、充実感や遣り甲斐が欠けているのか
好きな人と一緒にいれるのか、離別か想いが届かず一緒にいれないのか
この先の自分に明るい未来を見れるのか、暗い閉塞感しか見えないのか
この他にも、いっぱいあるけど、キリが無いのでこの辺にして、
上に書いてる前者が幸福で、後者だと不幸だってのが一般的な見方で、
そういう価値観を刷り込まれて生きてきたんだから、そう感じるのは凄く当然の話。。。。
でも、実際にはそんなに単純じゃなくて、これはあくまでも相対的な幸福と不幸の話
お金に困っている人は、お金に困らない人をうらやましく思うのは当然だけど
お金に困ってない人は、自分の余ったお金を見て心底幸せを感じる事なんてない。
なぜなら、人はそこに在るものに有難さを感じ続ける事が、絶対に出来ない生き物。
ただお金に困らない現実など、持っている人にとっては当たり前で、それ以上にもそれ以下にもなれない。
だから、それをどう使って人に喜ばれようとか、優越感を感じようなんて行動が出てくる。
お金の無い人は、ある事の素晴らしさが解るってのは相対性として当然の事
お金がある人は、無くなる怖さや、ただ在るという無意味さに不幸を感じるのも相対性
お金はお金としてそこに存在するだけで、それ自体では人を幸せにはしないから・・・・
だから、使って幸せな気分を味わおうとするんだけど、一人で使うのも限界がありいつか悲しくなる
そして、誰かと共有したいとか、誰かに喜んで欲しい等と考えてしまえば、そういう相手が居ないとか
見つからない事に、また不幸を感じてしまうような現実があって、結果こんな事が終わる事無くループする。。。
どこを、切り口にしても順不同に不幸のループは、誰にも訪れて何かを手にして、何かの不足を実感する
そして、それを手に入れようと努力して、手に入れても新たな不足や不満を見つけて、不幸になる。
こうやって不幸のループに入っていった時に、自分が手にしている幸福を見なくなり、蔑ろにする。
努力をした人ほど、実は自分の手に幸福が溢れかえっているのに、それに感謝や幸せを感じるのを忘れ
今ここに無い不足や不満にだけフォーカスして、不幸だと嘆いたり悲しんだりする事に終始してしまう。
人間には感情があって、不自由と不足を感じる為に生きてるから仕方がない。
だけど、気付かないといけないのは、このループから抜け出せないと、本当には幸せになれないって事で、
在るものに感謝をして、無いものを、現状は無い!!と在るがままに受け入れてしまう事が何より大切です。
無いってのは、不足じゃなくて、あくまでも余白でしかない。
不足があるなら、手に入れる為に行動すれば、いつかは手に入る。
足りないとか不満ってのは、改善を促すサインであり、指針でしかない。
そうやって、何を変えれば良いのかって事を示されているのに、動こうとせずに誰かが悪いとか
自分が努力をする必要性なんて無いと意固地になって、誰かや何かと正義の取り合いに終始してしまう。
人は自分の行動と言動と態度を自分で決めて使う事しかできない、誰かのそれを決めれる人は存在しない。
この部分は、また別の機会に詳しく書こうと思いますが、とにかく自分が出来る最善しか人は考える必要が無い。
そして、現状の不満や不足など、いくつ改善しても、次から次に湧き出る物だと理解して、
不幸ではなく、改善点のサインだと認識し、今ある幸せを見直して実感した後に、
それを改善して、更に幸せな自分になるんだと思い、行動をしていくようにするだけ。
一切皆苦って教えがあるけど、これは全部苦だから諦めろって教えじゃない・・・・
何をやっても、苦が返ってくることを知っておく事が大事だという教えだと思います。
苦が返ってくるのを理解したうえで、不幸と捉えずに余白として受け止める。
そして、一つの苦を改善して、幸せを感じ感謝して、次の苦をまた受け止める。
これを続けていく事でしか、人は不毛な不幸感からは脱却できないから。
また次回は、もう少し別の角度か、もう少し掘り下げた話を書ければと思います。
あと、誰かと死別という悲しみに耐えきれない辛さを感じている人については、
上に書いてる事があてはまりませんが、これには違う結論があるので、
いつかそれについて書きたいなと思いますが、内容が少し複雑なので、
かなり記事を書いてからになると思います。