前の記事の続き
自分がいつの間にか女性蔑視主義者になってしまった。
なってしまった以上、
誇りを持って活動しなければなるまい。
それにしても、差別主義の誇りとは一体何なのだろうか?
フランス人あたりに聞けば分かるかも知れないが
生憎、フランス人の知り合いがいない。
そもそも差別主義の行動って何やるんだ?
やっぱり、主義の布教とか実際に差別したりと
過激な行動をしなければならないのだろう。
僕の場合は
例のあのぶっ飛んだ理論の詳細を思い出して
新興宗教の如く、人に説き歩く事になるのか。
正直、面倒臭い。
性格的にも活動したくない。
というより絶対しないってそんな事。
過激な活動するのは過激派と云うことになる。
つまり、差別主義者=過激派ではないか。
そして活動しないとなると穏健派。
となると僕は過激派の中の穏健派となる。
何だかおかしなことになったけど
ここまでは
何を言っているか分からないという人はいないと思う。
が、ここから面倒くさくなってくる。
僕の友人達と先輩達、後輩・・・はいないか、
女性蔑視者か女性恐怖症者ないしは無関心の三つの分類に分かれると
この間書いた。
その中の恐怖症の人達が最近攻勢に出てきて
差別者に転向してきている。
ただ、元が恐怖症の奴らだから
全く活動していない。
つまり、こいつ等は穏健派だ。
この過激派の中の穏健派がある程度の大きさになっていると考えてよい。
過激派なのに活動する気の無い連中が一定数いるのはどうかと思うけど
それはいったん置いておこう。
このやる気の無い奴らの中で見ると
僕は元からいるから過激派と云うことになる。
まとめると僕は過激派の中の穏健派の過激派だ。
ここまでちゃんと見ていれば
分かる人は分かってくれるけど
こうなると事情を知らない他人に説明するには
一々この経緯を話さなければいけない。
この話を最後まで聞いてくれればいいのだが
その人が短気で過激派か穏健派かと問われてしまうと凄く困る。
過激派と言えば過激派と言えるし
穏健派と言えば穏健派といえる。
面倒だから活動を起こさなかったのに
部外者に言い訳するのが面倒臭くなってしまった。