2009 ラクロス女子W杯 @チェコ・プラハ
決勝戦 アメリカ 8 - 7 オーストラリア
優勝のアメリカは、
1982年の第1回大会から数えて、最多の6回目の優勝を手にしました。
優勝 アメリカ
2位 オーストラリア
3位 カナダ
4位 イングランド
5位 アイルランド
6位 ウェールズ
7位 日本
毎年開催される、
ラクロス国際親善試合
東京・江戸川陸上競技場には、学生ラクロス選手をはじめ、
たくさんの観衆を集めました。
W杯に向けて、女子日本代表チームは壮行試合を行い、
「 明日の朝、チェコ(W杯開催国)に向けて旅立ちます。
応援よろしくお願いします。」
と、高らかに日本ラクロスをアピールしました。
「 ケガを抱えている選手、気温の変化・時差とかもあるとおもうので、
現地に着いてからの体調管理が大切ですね。」 と米田トレーナー。
選手からは、
「 まだぜんぜん荷物の準備できてないー。荷物の重量制限もあるんで、
向こうでは毎日同じジャージですね。。(笑)」
いざ、出発です!
第8回 ラクロス女子ワールドカップ
四年に1度、開催される ラクロス女子W杯
4年間、誰よりもこのW杯を待ち続けたラクロス選手の
上井華奈選手と和田亜紀子選手。
その二人をつなぐ絆が、新聞に掲載されました。(6/7付)
― エースと主将が結んだ絆 (後編)
共に、2005年のW杯(米国)に出場し、チームを過去最高の
5位に導きました。和田選手は得点力が認められ、日本人初の
「世界選抜」に選ばれました。
日本の健闘ぶりを示したのが、世界4強の一角を占めるカナダ戦。
11-13の大善戦でした。
しかし、和田選手にとっては 「人生で一番の屈辱」 といいます。
「ラクロス人生で初めて点が奪えませんでした。ボールを持ったら
2、3人に囲まれて、何もできずに・・。」
「(われを失って)どんなプレーをしたのかすらも覚えていない。」
「あの悔しさを4年間、ずっと持ち続けてきました。」 と和田選手。
一方、上井選手は大会後に現役生活に区切りをつけるつもりでいました。
4年先まで続ける意欲がわきませんでした。
それもそのはず。社会人でラクロスを続けるには困難が伴います。
毎日のように練習できた大学生時代から一転して、練習日は仕事のない
週末だけに。
練習場は、母校や多摩川の河川敷を転々としなければなりません。
日本代表になっても、遠征費やユニホーム代など、自己負担が多くなります。
ー 助手席での説得
迷う上井選手を思いとどまらせたのが、3歳年下の和田選手でした。
練習の帰り道、上井選手が運転する車の助手席に毎回乗り込み、
「 W杯に行こう 」 「 一緒に乗り越えよう 」 と説得し続けました。
「 学生時代から上井さんを尊敬していましたから。
当時、写真を撮らせてもらったこともあったし。
私と日本代表にとって、欠けてはいけない存在だったんです。」
上井選手は照れながら、
「(やる気を)植え付けられちゃった。」 と振り返ります。
いまやチーム最年長として、チームを鼓舞する立場です。
日本代表は18人中16人が社会人プレーヤー。
上井・和田 両選手のような会社員もいれば、保育士もいます。だれもが仕事を
抱えながらラクロスに打ち込みます。
全員を沸き立たせる目標は 「W杯でのメダル獲得」
外国勢に体格で劣る分、走力と集団的な攻守の戦術を磨いてきました。
「 初めは どれだけ走らせるんだよ と思いながら練習していたけれど、
いまはつらくなくなったし、ボールをどんどん奪えるようになった。」
と上井選手。
佐藤壮監督は、
「 みんながフィールドを広く速く動き回り、中盤を構成して攻める
日本ラクロスが形になってきている。」 と手ごたえを感じています。
直前に迫ってきた ラクロス女子W杯 @チェコ共和国
ラクロス女子日本代表、佐藤壮HCへの事前取材。
上井華奈主将、和田亜紀子選手、ご協力のもと
新聞掲載(6/7付)されました。 見開き1ページ。
ー エースと主将が結んだ絆 。
「 倒れるまで戦いたい。」 ラクロスワールドカップに、
女子日本代表のエース・和田亜紀子選手(25)は思いをぶつけます。
その情熱は、競技を続けるか悩んだ主将・上井華奈選手(28)を
巻き込みました。
初のメダル獲得へ、心は一つです。 (記事・写真 勝又)
(記事全文)
W杯を目前に控えた5月末の代表合宿。 立教大学との練習試合で、
攻撃的なポジションを務める二人の連係がさえました。
上井選手が攻めの起点となって相手陣内に切り込み、和田選手が
次々とゴールを奪います。
お互いについて、
「 周りをよく見ている。目が合うだけでパスがくる 」 (和田選手)、
「 シュート技術が人間離れしている 」 (上井選手)
と信頼しあう間柄です。所属チーム(ミストラル)が同じです。
共に、2005年のW杯(アメリカ)に出場し、チームを過去最高の5位
に導きました。
和田選手は得点力が認められ、日本人初の「世界選抜」に選ばれました。
日本の健闘ぶりを示したのが、世界4強の一角を占めるカナダ戦。
11-13の大善戦でした。
しかし、和田選手にとっては 「人生で一番の屈辱」 といいます。
(つづく)