愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い出してください。
彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」
この人たちは、御霊を持たず、分裂を引き起こし、生まれつきのままの人間です。
しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、
神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
疑いを抱く人々をあわれみ、
火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。
(新約聖書・ユダの手紙17~23節)
ボクは、このみことばを長い間「自分自身を戒めるためのみことば」として自分のうちに大切にしていました。
でも今、振り返ってみると、それだけでは無いことが解ります。
すなわち、ここにはイエスを救い主と信じる人と信じない人との間にある、圧倒的な真実が書き記されているのです!
すなわち、ここには後者が「生まれつきのままの人間」、つまり成長が止まったままでいる様子が記されているのです。
しかし(主に在って私の)愛する人々は、神の愛のうちに生かされている「愛されている恵みのいのち」を神に感謝し、それを信じてこの地上で試練の中を成長し続ける、というのです!
ハレルヤ!
