「今日は日曜日」

 

週の七日目、神さまを礼拝する日です。

 

 

 

 

 

しかし、電車に乗るために駅に行ってみると人だかりが。

 

何と人身事故が起こったため、11時まで運転が見合わせられるとのこと!

 

「さあ、どうしよう?」

 

様々な思いが頭に浮かびます:

 

「どうしよう?代替バスに乗ってみるか、でもそれでは一本では行けないだろうから…、それなら一旦家に帰ってバイクに乗り換えて行こうか。」

 

しかし、頭がそう思っても身体がそのように動いてくれません。「変だ!」

 

とにかく動き回ってみよう。「ウロウロウロウロ…。」

 

やっぱり、目的地までは一本のバスでは行けないな、「それじゃ!」

 

やっと、ボクの身体が動き出しました!

 

いったん家に戻り、今度はバイクに乗って再発進です!

 

「慌てないように、安全運転っと!」

 

祈ってから発進しました。そうすると「何と!」

 

時間丁度に間に合って礼拝に出席することが出来ました。(ハレルヤ!丁度天気もハレルーヤ!)

 

 

 

 

 

礼拝では、”今の時代”のことが証しされていました:

 

~そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。(旧約聖書・サムエル記第一3章1節)

 

まことに神さまに頼って生きるべき私たちクリスチャンにとっての苦難の時代です!

 

 

 

しかしその日の朝、神さまはこうおっしゃっておられました:

わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じたことをすべて語れ。(エレミヤ 1章7節)

 

このことばを朝に見た時には、ボクは理解が出来ませんでした。でも、今は解かります。

 

「今まで生きてきたクリスチャンとしての証しを、どこの教会に行っても、十字架の主、”イエスさま”に対してするようにしっかりと果たせ!

 

そうです!

 

悪魔

(そうです、実はこの世を支配しているのは”この世の神”、すなわちサタンなのです!「いけにえを作らなければ生きていけない」と人々に説き勧め、戦いと滅びとに向かわせているのです!アーメン!)

 

「こうすれば、教会に行かなくても良いじゃないか、家に閉じこもってパソコンを開いてメッセージを聴いているだけでいいじゃないか

 

と巧みに誘惑してくるのです。

 

 

 

「そうじゃないんです!」

 

クリスチャンは、キチンと教会に行って、牧師さんと一緒になってメッセージを世界中に発信する働きに参加しなければならないんです!

 

ただ、ボーっと話を聞いているだけじゃなく、自分の心を神さまにお捧げしようではありませんか!