介護士として、勉強していたら現代の日本がどのような状況の中にあるのかを勉強します。

 

すなわち…、

かつては介護の問題も含めて、一切が家族の中で解決すべき問題として扱われていたこと。

大きな家族という形態の中で人が生まれそして死んでいく』ことが当たり前の出来事として繰り返されてきたこと。

しかし、時代が進むにつれて若い世代から都市文明の進む都会へと人が流れ出し、核家族のことが問題に上がって来ると、今度はその問題に対応するかのように網の目の交通網が整理されてゆく。

しかし現代に入るともっと単純な『日々を生きる』という問題がひとりひとりの心に切り込んできた、というものである。

 

 

 

普通に考えると「ああ、長男一家が家督を引き継いで次男以下は自由だから家系を引き継ぐという事は別に対して考えなくても良いんだな。それが田舎都会という形に姿を変えていった、という事なのかな…。」なんて、あっさりと通り過ぎていく。

 

 

『家督を引き継ぐ』ってどういうことなのだろう、『家族』っていったい何なのだろう」という事が今まさに、問われ続けているように思うのです。

 

 

 

自分の両親を思ってみると、ふたりが助け合って生活を支え合い、外からの公的援助を受けながら必要を満たされて過ごしている。

 

だから、『高齢になって身体がいうことを効かなくなって家族の支えによっても限界があり施設に入って離れ離れにならなければならない』という現実があることを日々身近に隣り合わせにして生きさせてもらって、それで「自分に出来ることは一体何なのだろう」と考えた時、お父ちゃんの居るべき所に”自分がいる”という現実にぶつかるのです

 

 

 

 

私は自身クリスチャンとして施設の中で振る舞って来ました。でも今、それはどういう事なのかということをここに自分の手で表わす必要があるような気がするのです。

 

 

ひとりの”心を内に持っている”人間として、いつもその人に「お父ちゃんが一番!」といつも心から言ってあげれる人間であるべきと思うのです。

 

 

 

中村雅俊さんが、昔「オレは男だ!」って何かのテレビ番組で放映されている中で叫んでおられたのを覚えています。

 

そうです。そしてボクは、ひとりの”神の子ども”として「そうだ、ボクは男なんだ!」と言わなければならない所に来ているのです!