「悔い改めが『救いに与るため』また『信仰の道を守るため』にどれだけ必要なことか」は、それを行い続けた人でしか解らないのではないかと思える。
しかし大事な要点は、
その”悔い改め”とは
「聖書のみことばに書いて在る『真理』を偽りと違えて受け取り続けたことを”罪”と呼び、聖書の神なる”まことの神”に立ち返ること」
を意味している、ということです。
そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」(新約聖書・ヨハネの福音書18章37~38節前段)
この地上で肉体を持って来られたイエスさま御自身が行われたことすべてが真理であり、イエスさまがこの地上に現わされなかったものはすべて地上に属するものなのです。
それはすべて、聖書を読まなければ解りません。
なぜなら、イエスさまは”聖書ご自身”であられるからです。アーメン。ハレルヤ!