教会に通って、せっせこ『みことば』すなわち聖書の御言葉を追い掛けていますと、ある日突然分かるんですな。
「自分は実に人の間に生かされていて、『神さまが共におられる所』に留まらせていただいてるんやなあ。」
「自分の想いの成る事じゃなくて、ただ和解すべき相手の喜びになる道を歩んでいたんやなあ。」
さらにこれがまた、『自分の人生に必要不可欠な和解』やったりするから、逆に嬉しかったりするんですな。
こうなって来ますと「人のことは二の次ですな」。
というか、一緒に礼拝をしたりしていますと他の人も自身の心をそれなりに捧げて礼拝しているのですから、その人たちは『神さまの次の地位(イエスさまの愛の内にいる人たち)』という関係ですな。イエスさま以上に心配する必要のない人たちなんですな、つまりが。
スゴイでっせ!
自分にこないに良くしてくださっている方が、同時に他にその教会に集まっている一人一人のそれぞれに良くしてくださって、更にそれで皆一同揃って「イエスさま!」ってなるように導かれるのですから!
「一度、皆さんも聖書読んでみなはったらどうですか!」