以上は、聖書のお話の一節です。
今日は、ドップリ聖書の話をすることをお許しください。
ロトの事で覚えているのは、先ずアブラムとの別れの時です。
ロトは、アブラムと分かれて右と左に別れる時、如何にも豊穣の地であるヨルダンの低地全体の方を選択しました。
彼は、自分の目に映る最高の地を自分の思いによって選択したのでした。
神の御前に、『自分の欲望の思い』と『神に従おうとする思い』は、時に衝突します。
神さまに信頼することを、神さまに選ばれて神さまから学び続けて来たアブラムは、神さまに従う選択を心から行い、神さまに更に導かれていきました。
一方のロトは、選択に於いて『まず神さまに伺う』という選択を取らず、ただ自分の欲望に従って進んで行き、その後様々な、自分の目から隠されていた問題に直面することとなりました。そして更に彼は、それらの問題と向き合うことをせず、その地に住み着いて善を行うことはしませんでした。
そうしているうち神さまの御使いが、ロトの住んでいる町を滅ぼそうとしてやって来ました。
そして「町から逃げなさい。決して振り返ってはならない。」と警告します。しかし、彼の妻は、振り返って塩の柱となってしまうのです。
これらの聖書記事から、何を学ぶことが出来るでしょう?
まず何事においても、神さまの存在、即ちイエス・キリストという全き善の道を心から求め続ける訓練を受けることだと思います。
そしてその体験を自分のものとせずに、自分の家族と分け合うことだと思います。
最後に、聖書の別の箇所にて、ヨシュアというイスラエルの指導者であった人が語ったことばがありますので、それを記したいと思います。
もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(旧約聖書・ヨシュア記24章15節)