霊的な世界が今、騒々しくなってきているようです。
日曜日の礼拝の時に感じました。
「神に私の事なんか知られていない!」
でも、私自身にだけわかっていることがあります。
それは、『私の身をもって語られた福音は、それを聴いている人によって生かされている!』ということです。
だからこそ、神さまは私を遜らせ、慎み深くいる者として整えられ、神の絶対的権威の下にあるように導いて下さるのでした。
「あれも、これも、すべては神のもの。」
しかもそれは、神さま御自身のみことばによって切り刻まれないと解らないこと。
さあ、神さまを畏れ、しかし主にあって前進しよう!