歴史の勉強をしていたら、

 

大航海時代に宣教師がヨーロッパから海を越えて日本に渡って来たときは、

 

国と国とでは、交易をして豊かなお金・また財産のやり取りが行われたことが知ることが出来ます。

 

 

 

学生の頃のボクにとっての”キリスト教の姿”は、『人間の欲望のぶつかり合いに引っ付いてやって来る「引っ付き虫」のような存在』に映っていました。

 

だから、キリスト教に対して心を開こうとは思っていませんでした。

『強い者に媚を売って「強いんだから頭下げてやってよね」と人々を説き伏せる人たち』と思っていたのでした。

 

 

 

でも…。

 

そのキリスト教自体が、

イスラエルという一つの国のために忍耐して身代わりになって十字架にかかるほど愛されたイエス・キリストという人によって導かれている、と知るようになって来てからは、見方が変わるようになって来ました。

 

 

(キリスト)教会は、神さまからの裁きを、善くても悪くても、結果として世に現す存在なのです。

 

 

 

ボクの教会観は、こうです:「そりゃあ、終わり良ければ一番ええわな!」