人の営みは沢山あって、その一人一人にそれぞれの奏でる物語がある…。
昼間の労働を終えて家路に就く人々、ふと立ち寄る憩いの場所でひと時を過ごす人々。
そこに流れる同じときがあり、分かち合うメロディがある。
音楽には、それを再び呼び起させる力がある、とボクは思う。
だから、歳を経て聴く音楽は、「若いときの思い出をノスタルジィに乗せて顧みたい」と思うその想いに呼応するものをしばしば選ぶ。
でもそれは失敗もする。
しかし、上手く波長があったときには「これは奇跡だ」等と顔がほころんでしまったりもする。
こうして人は、自分だけではコントールできない自分の心と外部からのものとの波長合わせが、何か”奇跡のような”めぐり逢いで起こることを知っている。
自分の『限られた行ないの範疇』を越えてしまうのである。
このように、人間は自分の範囲を”逸脱する”のを常としている存在ならば、一つの秩序を心から求めることはとっても難しい。
聖書の神は、その人のために、生きておられるである。