昨日(日付が変わっておりますので、このように表現します)、クリスチャンである私は、職場である老人介護施設にて、おばあちゃんの方々を前にして、
キリストの教会に礼拝しに行ってそこで牧師先生からメッセージの話を聴き、さらに手を頭に置いて祈ってもらう
という、一連の祝福の連鎖をダイジェスト版で口伝で伝えました。
その日の夜です。
神さまが寝ている私を起こされました。
職場の人間関係のこと。
新しい人が定着せず、皆が疲弊し苦しんでいたこと。
そこに神さまの光がやって来た!
自分にない能力が、他の人にある。(あたまでは、解る)
でも、ただそれが見えなくて、暗やみの中を手探りしていたのが、
神さまが教えてくれてから、見えるようになる感覚。
そうです。忘れてはいけません!
おばあちゃんの皆さまが、その中の一人の方の祝福の中に入れられ、そして一致された時に、このことは起きた、ということ。
まさに、教会とは、神である主による一致によって成るものなり。
こうして書くと、自分の書いている事柄が壮大で恐ろしいほど偉大なことを感じます。
でも、確かに、神さまは以前に、ひとりの神の人によってボクに語って下さっていたのです。
「あなたは教会になります。」と。
教会は、一切のものを一切のものによって満たす方の満ちておられるところです。
(聖書)
ああ、主イエスよ、来たりたまえ!
