日曜日です!イエス様にお会いにキリスト教会に足を運びました。
しかし、いつもと違う雰囲気が会場の中に流れていました。ただ、ボクに話し掛けてくださる御方は変わることはありませんでした。
礼拝が終わって、三人の兄弟たちがボクのもとに近寄って来ました。直接は話し掛けないのですけれども、私の横で何か世間話などをしているようです。そこに同年代の牧師先生が入って来られました、しかし、その口から出たことばに僕は抵抗感を覚えてしまいました。
「姉妹が亡くなったそうだ」。
礼拝中は公に「信じて姉妹のために祈っていきましょう」と壇上から語っていた牧師先生です。普通は、「天に召された」という表現がふさわしいところです。しかし、そうではないように感じられました。
これらに対して、ボクにいつも話し掛けて下さる方は、様子を見計らってその場から離れることを促し、今回はこのアメーバブログの存在を教えてくれた一人の兄弟に挨拶をしてから、帰りました。
キリスト教会は、普通の‟罪人たち”の集まる所です。
ただ、キリストなる御自身神なる御方が、救われる人々を御自身の御選びになった場所すなわち教会にお送りくださっている、だからいつもそのことが分かるように、それぞれが十字架による救いを見上げ祈り心で日々を過ごし、また礼拝を行う必要がある、ということです。
ぼくには、いつも相談に乗って下さる、内におられる聖霊なる神さまがおられなかったら、今日のような場面では簡単に思い煩いに沈み込んでしまうような普通の罪人です。
この御方のお名前、すなわち神である主キリスト・イエスさまのお名前によって、父なる神さまに感謝申し上げます。アーメン。