平和への願い 6・23 沖縄 慰霊の日


今からちょうど60年前、日本は戦争をしていました。

第ニ次世界大戦です。

沖縄は日本で唯一地上戦が行われた場所となり、

沖縄本島は米軍の上陸によって南北に分断されてしまいました。



南北約130㎞の細長い沖縄本島に打ち込まれた砲弾の数だけでも、艦砲弾約60万発、

地上砲弾約17万発と言われ、山の形が変わるまで「鉄の暴風」が3ヶ月以上も吹き荒れました。

自分たちの住んでいる土地に米軍が上陸し、戦場となり、20数万人の人々が悲惨な最期を遂げています。

軍人よりも沖縄県民の犠牲者がはるかに多いのが、沖縄戦の特徴です。



1945年(昭和20年)6月23日未明、

第32軍(日本軍の沖縄守備隊)司令官の牛島満中将と同参謀長の長勇中将が、

糸満の摩文仁(まぶに)で自決し、日本軍の組織的戦闘は終わりました。

最高司令官が自決したことにより、日本軍の沖縄守備隊は解体し、事実上の組織戦は終了しました。



しかし、悲劇はまだ終わりではありませんでした。

むしろ、ここからが悲惨をきわめました。

守ってもらえるはずの軍はないまま、山中などに隠れた日本兵の抵抗は続き、そのような戦場に放り出された住民たちは、逃げ場もなく、投降して捕虜になることもできませんでした。

(鬼畜米英と教えこまれ、捕虜になったら何をされるか分からないといわれていたため)



そのため、日本軍より支給された手榴弾を使い家族親戚で集団自決をしたり、

支給された毒薬を飲み自殺を図ったりしました。

また、崖から飛び降り自殺をして、多くの人々が尊い命を絶ちました。

沖縄戦で死亡した総数のうち、6月23日以降に死亡した人たちは、かなりの数にのぼると言われています。

1945年(昭和20年)9月2日、日本政府が連合軍との降伏文書に調印し、

さらに、9月7日に南西諸島の日本軍が降伏文書に調印して、沖縄戦は正式に終結しました。



最高司令官の自決した6月23日をもって、日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえ、

「沖縄・慰霊の日」が制定されました。

この6月23日の慰霊の日は、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として、

本土復帰前(米国統治下時)は休日と定め、各行政機関や学校、企業に定着していましたが、

1972年の本土復帰以降は日本国の法律が適用となり、

慰霊の日は休日としての法的根拠がなくなってしまいました。



しかし、1991年に地方自治法が改正され、沖縄県では、沖縄戦が年ごとに忘れ去られていることの反省と、世界の恒久平和への希求、戦没者の霊を慰めることを目的として、慰霊の日を休日と定める県条例が制定されました。



これにより、沖縄県庁、市町村役場、公立の小・中学校、高校などは公休日となっています。



あれから今年(2005年)で60年。

沖縄から世界へ「命どう宝」(ぬちどうたから)を。


日本で唯一地上戦があった沖縄。

多くの尊い命が奪われ、戦争の惨禍を体験したことから、一切の戦争をなくしたい私たちの想いを慰霊の日に託し世界へと発信し続けています。



「何よりも平和を大事にし、生きとし生けるものが共に睦びあう沖縄の心」命どう宝(ぬちどうたから)に平和の願いを込めて、私たちはふるさとからメッセージします。