【旧制高校 寮歌物語】(18)「北」の家族へ思いはせ
■姉からもらった腕時計 秋の日の休日、北朝鮮による日本拉致被害者の家族連絡会(家族会)事務局長を務める増元照明(ますもと・てるあき)(1955年~)は意外な場所にいた。母校・北海道大学の寮歌祭である。 増元は、昭和49(1974)年、「雪が積もるところで暮らしてみたい」と故郷・鹿児島から遠く離れた北海道大学の水産学部に入学する。それを誰よりも喜んでくれたのが、53年に拉致された姉のるみ子=拉致当時(24)=であった。 寮歌祭のステージで仲間たちと歌う増元の腕には、入学祝いにと、るみ子がプレゼントしてくれた腕時計が巻かれていた。「40年近くたつのに故障ひとつしない。さすが日本製ですよね。(北朝鮮の金正日総書記が拉致を認めて謝罪した日から)10年の節目となる今年は、できるだけ時計を身につけ、姉と一緒に活動したいんですよ」 北海道大学の恵迪(けいてき)寮には、日本3大寮歌のひとつに数えられる『都(みやこ)ぞ弥生(やよい)』(明治45年)をはじめ、多くの寮歌が受け継がれている。寮は今も現役で、毎年新たな寮歌が作られ、披露される。年配のOBと、女性を含む若い現役生が入り交じった寮歌祭も盛んだ。 増元は、寮には入らなかったが入学翌年、心身を鍛えるために一念発起して応援団に入る。想像とは異なり、北大の応援団は自由闊達(かったつ)な組織だった。増元はそこで主だった寮歌はあらかた覚えてしまう。< 前のページ12345次のページ >
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