僕のマンガ道 第0回 はじめに

 

最近ちょっと時間があるので、
この機会にこれまでの
僕のマンガ鑑賞の歴史を
ダイジェストで振り返ってみることにしました。

 

 

僕のマンガ道 第1回 手塚治虫

 

僕は小さい頃、本を読むのが好きな子供だった。
読んでいた本は、年相応に、
「少年少女世界名作全集」のような小説類や、
新見南吉や千葉省三などの日本の児童文学だった。

 

僕の父親も本を読むことは好きな人で、
自分の子供(僕)が本を読むことには反対ではなく、
むしろ奨励していた。それで僕は、
時々父と一緒に本屋に寄って、
興味を持った本はなんでも買ってもらえていたし、
僕も、世の中の本はなんでも読みたいというような、
漠然とした欲求を持っていた。


子供で世界が狭かったため、
世の中の本は望めばなんでも読めると
思っていたからである。

 

そんな頃、本とは別に、
マンガというものがあるのを知った。それはおそらく、
本屋の店頭とかで目にしたのがきっかけだったと思うが、
父親はマンガの本は買ってくれなかった。

 

父は活字で書かれた本を高尚なもの、
マンガを低俗なものと考える人だった。

それは単なる偏見だったと後にわかったが、
僕は自分なりの方法でマンガを入手して読むしかなかった。


父と同様、あるいはそれ以上に、
僕の母は子供(僕)がマンガを読むことには不寛容だった。

当時は父親の勤め先の社宅に住んでいたが、
その社宅の敷地内に共同の倉庫のような部屋があり、
そこには今で言う「資源ゴミ」のようなものも、
一時保管されていた。
その中に手塚治虫のマンガの本があった。
それは「0マン(ゼロマン)」だった。

 

「0マン」というのは、
リスから分化して進化した種族で、
知性も身体能力も人間より優れていた。

 

その人間よりも優れた種族が、
人類を滅ぼそうと狙う組織から地球を救うというような、
手塚治虫特有のディストビア感のあるSFマンガだったが、
僕は普段読んでいた小説類よりも、
ダイレクトにその世界観に引き付けられた。

 

それは、ストーリーの大部分が
絵によって表現されるという、
マンガという表現形式であったため、
作者の伝えたいことが、
具体的に、ダイレクトに、
伝わってきたためである。

 

それから僕は、あまり多くないお小遣いを使って、
マンガの本を自分で買って読み始めた。


その頃に買って持っていたのは、
手塚治虫の「W3(ワンダースリー)」や「バンパイヤ」、
「ザ・クレーター」などである。

 

僕は昭和41年生まれだから、
僕が手塚治虫を読み始めた昭和40年代後半には、
手塚治虫は「鉄腕アトム」(昭和27年~昭和43年)や、
「ジャングル大帝」(昭和25年~昭和29年)などの、
連載を終えており、黄金期を過ぎ、
「もう古い」とか、
「手塚は終わった」とか言われていた。

 

しかし手塚治虫は、
昭和48(1973)年に「ブラックジャック」(少年チャンピオン)、
昭和49(1974)年に「三つ目がとおる」(少年マガジン)、
の連載を開始し、完全復活を遂げたのである。

 

というのは、後に本などを読んで知ったことで、
当時の僕にとって、手塚治虫は、
「現役の面白いマンガ家」というだけの認識だった。