「読み」が完全完璧に的中するなら、それは「楽しい」のか?

日清食品の「カップヌードル」は、敢えて決定版の味付けにしないとか
以前何処かで読んだ覚えがあるんだが、ざっとネットを漁って
それに関する信頼できる言説を見付けられなかった。
ともかく。
例えば本を読んだとして、本の内容に納得出来る要素が5割に満たないなら
その本を読み進めるのは苦痛でしかない。
じゃあ逆に、その9割以上に納得出来るならば。
その本を読んで新しい事を得る喜びは得られない。
既に自分の承知している事について、誰かに得意げに述べられても
あんまり気分の良くなる話でもないだろう。
という事で、何かを享受するのに、一定の割合の違和感は是非とも必要。
もちろん違和感を感じるんだから、満たされない思いを常に引きずるんだけど。
それこそ、「その事に気になる状況」であって、まあ色々と。
ああでもない、こうでもない、ってケチ付けるのって楽しいし。

ちなみに自分は、チリトマトヌードルが究極のカップヌードルだと思う。