「情けは人のためならず」が「人に情けを掛けたら馬鹿をみる」
という解釈で流通する社会になってしまったという事の一つの現れかねぇ…。

コンプリートガチャについてユーザーの返金請求は認められるのか (弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース

この記事に寄せられた、色々な人達のコメントが押しなべて
「自己責任だ、良いキミだ」、という論調なので暗澹とした気分になる。

ソーシャルゲームの業者は客を装ったサクラによる情報操作と
アイテム出現率のリアルタイムでの確率操作で、客の心理を操る上で
大変有利な立場にある。
業者と客の力関係は、圧倒的に前者が有利で
非対称の戦いの構造になっている。
その状況で、「自己責任だ」、と客に回りうる立場の人達を斬って捨てて
孤立させるのは、「分断して統治しろ」な搾取する側にとって大変好都合。
そもそも、「自己責任だ」と傍観を気取るのは勉強が足りない。

だいたい、この種の事に散財する様な人は、今までなら
何処かお店で気前良く代金を払う、金払いの良い人のはずだ。
その人達のお金がこの種の業者に吸い上げられるという事は
他の商売にお金が回らない事を意味する。
この種の業者は、吸い上げたお金を社会に還元する事がない。
「海外投資」を名目にして、資金の海外移転、逃避を行っている。
それを防がなくてはいけない。
だから、お調子者の財布の紐のゆるい人を守って
悪徳な業者に制裁を与えるのは、回り回って社会の為
つまり自分の生存の為になる。

互恵的に「他人の為に犠牲になる」事の行われる社会集団は
利己主義的な社会集団よりも生産性と生存力が高い。
リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』をちゃんと読んでれば
その辺が分るのだが、バカ「文化人」が誤読してる国だしな・・・。