三日前のエントリー 美は細部に宿るとか の発展のようなもの。
美は具体的とか言ったけど、それを(主観的な意味で)率直に
押し広げキャンバスを埋めていくと時に変な事が起こる。
ピカソの立ち上げたキュビズムなんかはそれを極端に
発現させたので、ああいう風になった。
キュビズムの画の全体を眺めると、単一の視座から眺めた景色の表現
「ではない」という意味で、破綻しているのはハッキリ分かる。
でもそもそも、人の眼は、ある瞬間の視野に入った全て森羅万象を
静止画カメラ的に焼き付ける能力をもっていない。
人の視野は左右に180度、垂直に130度の楕円形だが、文字を
読むのに使えるほど高機能な視野の角度は2度程度だそうで。
つまり、視野の全ての領域を細かく「スキャン」するには
それ相応の時間が掛かる。
そうすると、一端から他端まで眺める間の経過時間で対象物が
変化してしまうかも知れないし、眺める「本人」も動き回って
同一視座の保証も出来ない。
ていうか、人間の眼は常に微細に振動してるっていうし。
だとすれば、「本人」が受容した像をキャンバスに
「素直に」投影するならば、それは写真の像とは違って問題無い。
美は具体的とか言ったけど、それを(主観的な意味で)率直に
押し広げキャンバスを埋めていくと時に変な事が起こる。
ピカソの立ち上げたキュビズムなんかはそれを極端に
発現させたので、ああいう風になった。
キュビズムの画の全体を眺めると、単一の視座から眺めた景色の表現
「ではない」という意味で、破綻しているのはハッキリ分かる。
でもそもそも、人の眼は、ある瞬間の視野に入った全て森羅万象を
静止画カメラ的に焼き付ける能力をもっていない。
人の視野は左右に180度、垂直に130度の楕円形だが、文字を
読むのに使えるほど高機能な視野の角度は2度程度だそうで。
つまり、視野の全ての領域を細かく「スキャン」するには
それ相応の時間が掛かる。
そうすると、一端から他端まで眺める間の経過時間で対象物が
変化してしまうかも知れないし、眺める「本人」も動き回って
同一視座の保証も出来ない。
ていうか、人間の眼は常に微細に振動してるっていうし。
だとすれば、「本人」が受容した像をキャンバスに
「素直に」投影するならば、それは写真の像とは違って問題無い。