西原理恵子の作品を初めて知ったのは何だったか。
『恨ミシュラン』だったか、『まあじゃんほうろうき』だったか。
白夜書房のパチンコ雑誌でページを持ってたのを見たのが最初だったか。
最初の印象は、身を張ったというか、鴨がネギ背負ってバクチで毟られるのを
包み隠さずページに落とし込む、凄まじい作風だなぁ、と。
そのうち、『はれた日は学校をやすんで』を知り、スピリッツで『ぼくんち』
が始まり、心に波風を立てる叙情的な作品群に惹きつけられてしまった。
『ゆんぼくん』には思わずボロボロ泣いてしまった覚えがある。

また別の機会にクドクドと書き垂れてしまうだろう、というか書きたい。
が、その時の予告的に。
彼女は、自分の手持ち資源の制約を承知して、勝ち目がない勝負はしないで
勝ち目がありそうな所にはリスクを掛けて勝負に出たから今があるんだ。
(バクチで負けるのは自身の作品を生み出す上での避けられない経費であり
読者の心を揺さぶり掴んで離さないという「目標」を達成する為の「手段」。)