こんにちは


アラフィフ専門コンパス(内観)

ノート講師



りの


です。



訳あって、


ただ りのです。



本日は

障害のある子の子育て 3


です。



私が


障害児を産んでとてもしんどかったのは


相談できる人がいなかったということ。



・夫は障害のある子供を受け入れられない


・両親は亡くなっている


・.友達の子供は、みんな健常児


仕事もあったから

その間は、一生懸命というか、


忘れたいがために、死ぬほど働いた

長い休みとかも、取らなかった


お医者様から

治る、という言葉を聞くことができない


辛さ、苦しさ、そう産んでしまった申し訳なさ

が、私の身体にまとわりついて離れない感じ。



私は子供が、落ち着く18歳くらいまで


油断するとすぐ涙がでてしまうので、

気を紛らわせるために

すぐに、どうでもいいようなことを考える

くせをつけたり

テレビを見て面白くもないのに

大げさに笑ってみたり

考えなくて良いように、次から次へと

予定をいれてみたりした


でも


身体はくたくたになっても


息子を見ると現実に引き戻されて


またよく泣いていました。



その当時

アドバイスもほめられる言葉も

欲しくなかった。



ましてや、


軽く、大変だね、とか

私にはできないとか

そんな言葉もいらなかった



ただ、

ひたすら黙って聞いて欲しかった。

横にいて、目を合わせるより

一緒の空間にいてくれるだけでよかった




ただ、その後

ちょっとした転換期が訪れた。




以前、大好きで、尊敬していた大女性作家さんが

いました。


完璧なご家庭、完璧なご家族と思っていたのですが

ある時突然、お子様が生まれつき、ろう者だった

ことをお話しされ、そのご苦労の中で、


「うちの子が生まれてまもない頃、病院の先生から障害児を育てるのは、ざるで水を救うようなものだから、上手くいかないし、やっても成果がない。

きちんと、大人になることは諦めて下さい、と言われたの。


最初は絶望したし、不安や心配ばかりだったけれど

思い直すことにしたの。


わずかだけど、ざるにも水は溜まる!と

一杯になるには時間がかかるし、

ならないかもしれないけど、決してゼロではない。

そう考え直して子育てをしたの、

そうやって自分を励ましたのよ」と。



ハッとしました。


さらに、

その息子さんは、結果として夢を叶えましたのです



親の私が、できないできない、ムリだろう

と決めつけていました。



だけど、

それからほんの少し、前向きになれたんです。




健常の子供には、

できて当たり前の

ほんの小さな事ができたりすると大騒ぎで大喜び



例えば、電車が動いてそれを目で追った、とか

スプーンでお豆をすくえたとか、

目があった、だけでもね。



できるを喜べると、

また次に喜ぶネタに気づくこともありました。



もちろん、すぐに

いい方向に行ったと言うわけでも、

そんな事いったってと


元に戻ることもありました。


でも、


私が笑うと息子も笑ってくれて、

それが、なによりのパワーに

なりました。



では、また



お目にかかりましょう。