FacebookやらPinterestやらにかまけているうちに、ブログを更新する
習慣が、自分の生活の中からすっかり無くなってしまいました。
フローとしてのSNSの重要性は良く分かるのですが、ストックとしての
情報は、やはりHPやブログだと思います。
反省も含め、メルマガ原稿の再掲載ですが、少しずつ復活させます。
さて。
メーカーの製造現場の方を取材したり、あるいは農家の方と打合せを
したりすると、突然、腑に落ちた思いにさせられたり、忘れていた
何かを思い出させてくれたりして嬉しくなることがあります。
これは、販売の現場の方やサービス業の方と打合せをするときには
得られることの少ない、独特の感覚です。
販促や企画を考えていると持つことのできない「モノ」と「ヒト」の
原点に気づかせてくれる喜びかもしれません。
例えば工場なら、素材がある一定の状態になったら、次にどのような
ことをしなければならないかとか、農家なら、作物や天候がどのような
状態になったら、次に何をしなければならないか、さらには、そうした
工程や選択が上手くいかなかった場合、次にどうしなければならないか、
といった一連の思考や仕事のやり方が決まっており、それを説明する
理由や言葉が非常に明確なのです。その明快さが気持ちいい。
(実際は、もっと複雑な要素が絡み合っているのかもしれませんが。)
作用と反作用というか、主体と客体というか、自分が働きかける相手が
「物」や「自然」なので、反応が物理的な事象となって現れるために
分かりやすい(というか、誤魔化しが効かない)ことから生まれる潔さ
なのかもしれません。
一方、販売の現場は相手が人間ですから、商品や接客に対する反応は
一人ひとり異なるでしょうし、結果も一律ではない。その分いろいろな
思惑や解釈が打合せの中の言葉になって入り込んでくるために、歯切れ
の悪い言葉が並んだりもする・・・。
これは、どちらが良いとか正しいという比較論の問題ではなく、商品の
価値がどのようにして生まれるのかを考えるのに非常に良い材料だと、
私は思うのです。
良いモノでも、市場の中で埋もれている「物」は多い。
ナゼか?
それは、モノ作りは「事実」の積み重ねであり、価値は「解釈」の積み
重ねだからです。
「事実」が正しく(=それぞれの顧客にとって適切に)「解釈」された
ときに、初めて「価値」が生まれるのです。
そして、その「解釈」を助けるのが広告や販売の役目です。
逆言えば、どんなに良い「モノ」でも、そのプロセスに含まれる貴重な
「事実」を伝えきれなければ、その「価値」は顧客には届きません。
「意味」と「形態」が結びつくことで「価値」が生まれる、と言うのが
ソシュールの記号論ですが、まさに「解釈」と「事実」が結びついて
「価値」が生まれるのです。
ブランドを育てるためにはストーリーが必要だと言われますが、それは
「でっち上げ」の物語を創ることではなく、その生産・製造・販売の
プロセスに関わる「事実」に含まれる「(顧客にとっての)意味」を、
正しく「解釈」される形で伝えることなのです。
冒頭に述べた「腑に落ちる」感覚と言うのは、おそらく私が「モノ」に
隠された「モノガタリ」に気づかされた瞬間なのでしょう。
つまり、
●ブランド構築の鉄則-9
モノには貨幣を払い、モノガタリには敬意を払う。
Facebookをきっかけに、さまざまな「いいね!」表示も増えてきている
ようでうが、これは金銭に勘定されない価値であり、一種の敬意である
とも考えることができます。
販売の現場で「いいね!」と思って、喜んで支払ってもらえることが
商品の付加価値が認められた結果ですから、ブランド育成においては
この貨幣と敬意がセットになって支払われる形が理想と言えます。
こうしたブランドの価値を表す表現として「リスペクト・プライス」
という言葉を考えました。
「ブランド・プレミアム」や「付加価値」と同義かもしれませんが、
よりお金に近い表現として定義したつもりです。
さて、あなたの取り扱っている商品は十分な「リスペクト・プライス」
を付けるだけの「事実」を語っていますか?