誰もが知っている、「美術」という言葉。

 

この言葉は、いつごろから使われ始めたのでしょうか?

 

平安時代でしょうか?

いいえ、鎌倉時代ですか?

 

違います。

 

江戸時代でもありません。

 

明治になってからつくられた言葉です。

 

美術という言葉‥

岡倉天心が創案したそうです。

 

 

あるとき天心は‥

一人の新聞記者と話をしていました。

その記者が、ふとこういったそうです。

 

書道、日本画、油絵、彫刻、木彫り、彫金、の展覧会開催、という見出しを見つけたのですが、

 

こうも長いとまるで寿限無のようで、しまりがないんですよ‥

 

活字の世界に生きている人間にとっては、こんなに多くの言葉を使わないといけないというのは、辛いですよ… 

メンドクサイです!

 

それから数日後‥

 

岡倉天心は新聞雑誌といった、今でいうマスコミの人たちを集め、

 

これからは、書道、日本画、油絵、彫刻、木彫り、彫金などとそのつど書かずに、ひとまとめにして、「美術」という言葉をお使いになられてはいかがですか?

 

そう提案したそうです。

 

美術とは‥

 

心の美、美しき芸術といった意味の言葉です。天心はその意味まで説明したそうです。

 

だけど、未知なるものに対して臆病になるのは人の常。

 

このときに集まった新聞記者も、「美術」といった未知なるものに対して、当然のごとく抵抗感を抱いたでしょうね。

 

岡倉先生!

そんな「美術」なんて、わけのわからない言葉が使えるると思いますか? 
 

それはできないでしょう‥

 

だって、タタミ一畳ほどの紙に書かれた唐詩選(とうしせん:明の李攀竜が編纂したといわれる唐代の漢詩選集)も、裸婦の油絵も、同じ美術というのですか?

 

それは流石にありませんねぇ~

 

まさにカンカンガクガク、ケンケンゴウゴウです。

 

そんな非難ゴウゴウの中で、岡倉天心は動揺した様子を示すこともなく、あらためて記者たちに向かってこう言ったそうです。

 

皆さん‥

言葉に限らず物事すべては、この世に初めて誕生するときに必ず反対されるものです。

 

反対されないようなものであれば、最初からやらないほうがましです!

 

言葉もまた然り‥

 

はじめのうちは、なんかギクシャク感じられますが、慣れてくるうちに、ピッタリ収まっていく行くものですよね。

 

人間には、それを受け入れる心の奥深さ、というものがあります。

 

皆さん‥

明日と言わず今日から、「美術」という言葉をお使いになってください。

 

心です‥

 

度胸です‥

 

お願いいたします!

 

とき笑みを浮かべながら‥

また、ときに眼光鋭く‥

 

岡倉天心は記者たちに説明したのではないでしょうか。

 

そんな光景が私の心の中に浮かんできます。

 

さて、翌日のこと。

各新聞に「美術」という見出しがチラホラ見えたそうです。

 

 (画像はホームページよりお借りしました)

 

そして、その年の秋。

大きな活字で‥ 

 

美術の秋、来る!

という見出しが登場するまでになったそうです。

 

天心さんを見習って、私たちは、自分の意見が、従来の習慣とまったくかけ離れていても、照れることなんてないじゃないですか‥

 

信念と繰り返しです‥

 

それが〝初もの″の土壌を徐々につくってくれるのです。

私はそう思います。

 

会議で、あなた自身の〝美術″を、堂々と話してみる… 

 

心です‥ 度胸です!