ラテンアメリカ文学を語る その1ーファン・ルルフォ『燃える平原』
みなさん、こんにちは。今日は今までと少し趣向を変えてラテンアメリカの作品をひとつ御紹介したいと思います。ラテンアメリカ文学と言えば文学通の方ならガルシア・マルケスの『百年の孤独』等の作品を知っておられる方もいらっしゃるかも知れませんが、まだまだ日本においてはほとんど知られていないようです。そこで、私がこれまで読んだラテンアメリカの作家について『ラテンアメリカ文学を語る』と題して少しずつその魅力を語りたいと思います。(今のところ不定期の予定です)さて、今回は1回目としてメキシコのファン・ルルフォを取り上げたいと思います。彼の作品の良さは簡潔で力強い文体と、まるで読者自身が作品の中にいるかのように思わせる豊かな情景描写です。たとえば、こんな具合に。
「まったく、ここんとこついてないことばっかりだ。先週はハシンタおばさんが死んじまうし、その葬式が済んで、みんなの悲しみもやっと薄れ出したばかりのこの土曜日、バケツをひっくり返したような勢いで突然雨が降り出した。父さんは歯ぎしりしてたよ。日干しにするんで、刈り取った大麦をそっくりそのまま畑においてたからだ。どしゃ降りがいきなり大波のようにやってきたもんだから、麦のひと束だって取り入れる時間がなかったんだ。おれたちにできたことと言えばせいぜい藁屋根の下へ体をすべりこませることぐらいだった。そして、空からざんざん降ってくる冷たい雨が刈り取ったばかりの黄色い大麦を台無しにしていくのをただぼんやりと眺めているばかりだった。」
ここで引用したのは『燃える平原』の中の「おれたちは貧しいんだ」という短編の冒頭の部分ですが、いかがでしょう。この部分を読んで大雨が容赦なく猛威を振るう様子と、苦労して育てた大麦をなくしてしまった主人公(語り手)の悲しみが手にとるように理解できることでしょう。彼に対する感情移入も簡単ですよね。ルルフォにはこうした情景描写の連続で作品を一気に終わりまで読ませることのできる凄さがあります。読者は一気に作品を読みとおしたあとで、いろいろと考えをめぐらせ、作品の味を噛み締めることができるのです。ヨーロッパの古典的な小説はどちらかというと物語のプロットで読ませようとするふしがありますが、ルルフォの作品は全く趣きを異にしています(ついでに言うと、私の読んだ感じではアメリカやラテンアメリカの作家には情景で読ませる傾向が強いようです)。むしろ情景描写で読者を圧倒することによって、読者に当時のメキシコの農民の苦しみを体感させようとしたのでしょう。ちなみに『燃える平原』はルルフォの悲惨な少年時代がモデルになっていると言われています。
「われわれの住んでいた土地は破壊しつくされ、父の一族は根絶やしにされました。父や母、それに父の兄弟、みんな殺されました。それからというもの私は殺伐とした世界で生きることになったのです。人間も自然もすっかり荒れ果てていました」(『燃える平原』あとがきより)ルルフォは自分の少年時代をこんな風に振り返っているそうです。
また彼は寡作中の寡作で『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』のたった2つしか作品を残しませんでしたが、それは彼が全精力を傾けて2つの作品の中に当時のメキシコの現実と、その中で必死に生きる人々の魂の叫びを込めようとしたからではないでしょうか
「まったく、ここんとこついてないことばっかりだ。先週はハシンタおばさんが死んじまうし、その葬式が済んで、みんなの悲しみもやっと薄れ出したばかりのこの土曜日、バケツをひっくり返したような勢いで突然雨が降り出した。父さんは歯ぎしりしてたよ。日干しにするんで、刈り取った大麦をそっくりそのまま畑においてたからだ。どしゃ降りがいきなり大波のようにやってきたもんだから、麦のひと束だって取り入れる時間がなかったんだ。おれたちにできたことと言えばせいぜい藁屋根の下へ体をすべりこませることぐらいだった。そして、空からざんざん降ってくる冷たい雨が刈り取ったばかりの黄色い大麦を台無しにしていくのをただぼんやりと眺めているばかりだった。」
ここで引用したのは『燃える平原』の中の「おれたちは貧しいんだ」という短編の冒頭の部分ですが、いかがでしょう。この部分を読んで大雨が容赦なく猛威を振るう様子と、苦労して育てた大麦をなくしてしまった主人公(語り手)の悲しみが手にとるように理解できることでしょう。彼に対する感情移入も簡単ですよね。ルルフォにはこうした情景描写の連続で作品を一気に終わりまで読ませることのできる凄さがあります。読者は一気に作品を読みとおしたあとで、いろいろと考えをめぐらせ、作品の味を噛み締めることができるのです。ヨーロッパの古典的な小説はどちらかというと物語のプロットで読ませようとするふしがありますが、ルルフォの作品は全く趣きを異にしています(ついでに言うと、私の読んだ感じではアメリカやラテンアメリカの作家には情景で読ませる傾向が強いようです)。むしろ情景描写で読者を圧倒することによって、読者に当時のメキシコの農民の苦しみを体感させようとしたのでしょう。ちなみに『燃える平原』はルルフォの悲惨な少年時代がモデルになっていると言われています。
「われわれの住んでいた土地は破壊しつくされ、父の一族は根絶やしにされました。父や母、それに父の兄弟、みんな殺されました。それからというもの私は殺伐とした世界で生きることになったのです。人間も自然もすっかり荒れ果てていました」(『燃える平原』あとがきより)ルルフォは自分の少年時代をこんな風に振り返っているそうです。
また彼は寡作中の寡作で『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』のたった2つしか作品を残しませんでしたが、それは彼が全精力を傾けて2つの作品の中に当時のメキシコの現実と、その中で必死に生きる人々の魂の叫びを込めようとしたからではないでしょうか