先週からずっと「努力と結果」について考えている。
とあることがあって、
「努力と結果が必ずしも比例しない」
ということを考え始めてったら、
結果が出ないからといって努力しなくていいのか?
とか、いろいろ考え始めて・・・
大谷翔平のMLB挑戦とかあったりして、
「大谷はやった努力のほとんどが結果に結びついているよな・・・」
とか、大谷の姿を誇らしくも思いつつも、一方で「何やってもダメだった自分」とは違う姿に対する僻み根性というか寂しさを感じたり。
ということで、まず、スポーツで考えてみた。
中学の時、軟式野球やってたけど、小学生の時は親に野球クラブに入らせてもらえなくて中学になって初めて本格的な練習をするようになった。
スポーツ少年団って云うの?
小学生の時はそれに入らせてもらえなくて当時は親を恨んだりもした。
テレビのプロ野球中継は見ていたし、遊びでは小学生の友達同士で野球やってたけど、チームとしては練習とかやってなかったから、ちゃんとした野球のルールとかセオリーの基礎を知らずに中学から入ったもんだから、結構恥ずかしい思いもした。
で、やってみたけど、練習すればするほど、肘痛くなるし、腰痛くなるし、耐えがたい痛みで練習もままならなくなった。
体が思い通りに動かないし、上級生からのシゴキにも嫌気が差して1年近く自動退部みたいな状態になった。
で、中学2年生の夏、3年生が引退したタイミングでメンバーが足らないと誘われて野球部に戻った。
レギュラーが怪我したお蔭で、いきなり、やったこともないファーストやれ!となって練習試合に出だして、連戦連勝
14連勝くらいしたと思う。
その間、俺はヒットが出にくい軟式野球で打率4割くらい打った。
(さりげなく自慢)
最初はまったく期待されなかったチームなのに、それだけ連勝すると地区の優勝候補に挙げられるようになって、そうなると期待感みたいなプレッシャーが掛かって来た。
監督も野球経験なしの教師だったから、最初は選手の好きなようにやらせて上手くいってたのが、周囲から期待されるようになったら豹変して猛練習を課すようになった。
土日返上、7時から朝練
土日は10時から練習が始まって、ボールが見えなくなる夕方4時か5時の日暮れまで続く。
こうなってくると、1年間さぼってたブランクで癒えた肘や腰の痛みが再発しだして、走るのもままならない。
結局、レギュラーを外されて代打要員に。
「努力が結果に結びつかなかった」中学の頃のスポーツで思い出した。
3年生の秋の運動会で、砲丸投げにエントリーしたのよね。
優勝候補には体のでかい奴がいて、俺はなんとかそいつに勝ちたいと思って、結構練習した。
仮に体のでかい奴に勝てなくとも、その次は俺だろ!
と思っていた。
ところが本番、なんと俺は3位で終わってしまった。
俺はベストの個人記録ではなかったものの平均的な記録を出した。
しかし、何も練習していなかった奴が本番で好記録を出して2位。
あんときはショックだった。
ほぼ帰宅部と変わらない卓球部の奴に負けた時は・・・
「結果が出なかった努力」という点では、やはり勉強
勉強やスポーツは、努力した成果が結果に出やすい
と世間一般では言われているみたいだが、俺の経験上、むしろ逆なような気がしている。
てか、勉強とかスポーツって、点数や順位で明確に表されるので、やった努力に対して、満足が得られない結果に終わった時のショックがとてつもなく大きい。
から、世間一般の見方と違った見方を俺がしてしまうのだろう。
だったら、努力(勉強)なんかしても仕方ないじゃん?
って子供たちが思いがちになってしまうのは致し方ないのではないか?
俺もさ、「いつもテストの前は一夜漬けで誤魔化して来たけど、今回はちょっと一生懸命に勉強してみようかな!」と決意して、テストの2週間前から試験対策の勉強やってテストに臨んで
勉強したところが試験問題に出たので
よーし、もらったー!!!
と
んで点数も良かったから、成績順位も上に行っただろう
と思って期待してたら、
みんな点数が良くて
順位は変わらんですたい
と
何これ?
あれだけ勉強したのに、一夜漬けの時と結果変わらん・・・
アホくさくなるよな
努力が・・・
少年時代は、それが大問題だった
で、今、どう思っているか
確かに、努力の結果が成果を伴って、成績優秀の評価に結びついて、発射台(スタートライン)が高い位置から始まれば、そりゃ他の人に比べたら有利だし、人生の選択肢も増えるのは間違いない。
人生、スムーズに行けたら、どんなに楽か・・・
って正直思う
よく、偉そうに言う人がいるよね
結果が伴わなかったのは努力が足らなかったからだ!
とか
結果が伴わない努力は、努力の方向性が間違っているからだ!
と言う人が。
簡単に言っちゃってくれるよね?
さはさりながら、
努力が結果に結びつかなかった数多くの経験から俺が思うに
こっ酷く打ちのめされても、その壁に立ち向かう勇気は育まれたのかな?
と
ここ大事
何度打ちのめされても、また立ち上がって挑む
チャレンジ精神とか世間では簡単な言葉で言っちゃってくれるけど、結構、また立ち上がって挑むのはしんどいし、精神的にもズタボロなのに、それでもファイティングポーズを取る
って
ホントしんどい
普通なら戦意喪失になっておかしくない
自分に与えられた条件は悪くとも、
叩きのめされても、また立ち上がる
結果が伴わなくとも、死にもの狂いで喰らいつく
そこだな、鍵は
このテーマは、もう少し考え続けてみようと思う。