今日も部下から上がってきたレポートに手を入れる作業などをした。
同じチームで一番の古株の俺の同級生が作成したレポートは、あまりの分析不足ぶりに突き返してやり直しを命じたが、ほか二人のCPA資格者が作成したレポートについても大幅な書き直しを命じたものの、この二人はそれなりに能力が高いので一日二日で書き直して再提出してきたので、これについてはOKを出した。
俺も偉くなったものだな
W大卒の同級生やら、K大卒のCPA資格保有者が作成したレポートにダメ出しして書き直させる芸当ができるなんて・・・
前者の同級生の部下に関しては、そもそも分析作業の手間を惜しんだ、いわゆる「骨惜しみ」した結果の稚拙な内容及び稚拙な文章だったのでダメ出ししたんだが、後者の場合は、別に分析が足らない訳ではなくて、どこに力点を置けば良いのかが不明確なレポートになっていることを指摘して書き直させたといった違いがある。
その点に大きな違いがある。
重大な点に関する分析が足らないのか、単に書き振りの問題なのか、の違いの見極め
この違いは、俺自身も、ともすればゴッチャにしてしまいがちになるところではあるけど、数多くある情報の渦の中から、どれが重要なポイントなのかを見極める能力には一日の長があるのかもしれない。
会計知識がおぼつかない俺なのに、なぜCPA資格者にダメ出しできるかといえば、その一点に過ぎない。
その一点とは、正直言っちゃうと要するに「肌感覚」・・・
肌感覚と言うと、「なーんだ、説明不能の肌感覚で物事を判断しちゃってんだ、なんだ、お前もバカな上司の一人じゃねーの!?」と思われてしまうけど、俺は単なる「野生の勘」を判断基準に部下の仕事ぶりに言いがかりをつけている訳じゃないつもりでいる。
「お前の言いたいことは分かった。物は言いようだよね(藁)」というのとも違うと認識している。
俺は完璧な人間だ!とは当然言わないまでも、「何の為にこの仕事をして、その結果をどう適切に報告するのか」はサラリーマンとして為すべき最低限の役目だと思うし、逆にそれ以外の「曖昧模糊とした事象の分析のために結果的には無駄な作業となってしまった事情について、アレコレ言訳じみた冗長なレポーティングは必要ない」ということなんよね。
途中での試行錯誤は当然あることだし、試行錯誤の結果、無駄な作業をすることもあるわさ。
そんなもん、最初っから真っ直ぐな王道が見えていて、試行錯誤とか、一切無駄な作業をせずに結果に向かって真っ直ぐに突き進めるなーんてことは、ほとんどない。
紆余曲折があるのは当然
で、それに対して、まったく評価しないかということはなくて、むしろ、数多く試行錯誤を繰り返す人間の仕事ぶりを評価しつつ、公式記録として残すレポートはなるべくシンプルにするのがベストだという思いがある。
レポートは人に読ますため、人に読んでもらうために作成するものだから、要点整理が大事だし、報告すべき点はなんなのかといった本質が欠けたレポートは問題外になる。
人に読ますための書類なのだから、前提となる事前知識がない人であっても、読んだ人が読んで納得できるように仕上がっていないと、それは紙屑でしかない。
内輪ウケは要らない
つまりそういうこと。
仕事とはそういうものだ、と俺は認識している。
別に俺だけじゃなくて、仮に明確な意識として認識していなくとも、ほとんどの職業人が潜在意識の中では認識しているはず。
卑近な例を挙げれば、お笑い芸人やらが内輪ウケのネタで盛り上がるテレビ番組を見て、一般の視聴者が嫌悪感を感じるのは、そういった一般人の潜在意識があるからではないのかな?
視聴率を意識し過ぎて番組製作者と一般人の間に認識のズレが生じていることに気づかず、更に過激な演出をしてみたり、視聴者が欲していない内輪ウケ的なマニアックネタをぶっこんでしまって、どんどん視聴者から嫌悪されていくみたいな・・・
レポートの作成者の意図が、見る側、読む側の視点、関心、興味から乖離してしまっていたら、どんなに製作に労力を費やしていたとしても、それは単なる自己満足に過ぎないし、ゴミ箱行きに決まっている。
そういった点の認識を新たにしてもらうためも含めて部下のレポートにダメ出しをして書き直させた。
自己満足に陥っていないか?
は、常に管理職としては意識しとかないといけないポイントかと思う。