しかし、今時「クオンツ 久保田育夫」で検索して来る人がいるんだな・・・。

誰やねん!

アングラ情報源を鵜呑みにして妄想に駆られているの人なのかな?








亡くなってもう10年近いので、フリーソースじゃ経歴も調べられんくらい時間が経ってしまった。

早稲田の政経出身で、岡三証券に入社

ここまでは有料の有報サイトかなんかを見れる人なら知り得ることができる。

こっからは有報の経歴には載っていない情報もあるかもしれん。

アナリスト資格を取得したかして、ディーリング(自己買)のほうに行って、証券会社入社後10年かそこらで外資系に転職。

確かモルガン・グレンフェルだったか、モルガンとくっ付く前の単なるグレンフェル時代だったか、俺もよく知らない。

武者陵司もドイチェ・モルガン・グレンフェル証券だった。

ドイツ証券は、DB(ドイツバンク)が付く時代もあったし、ドイチェだったり、DBだったり、ドイツだったり、系列で違ってたりして、複雑すぎてよー分からん。

俺が久保田さんと出合ったのは90年代後半

最初は間接的にしか知らなかった。

大風呂敷で、やたら生意気な人間だという評判は聞いていた。

でも、一部には、生意気なのことは気に入らないが、言うことには説得力があるという評価もあった。

俺が出合ったのは、久保田さんが岡三から引っ張った人達がドイツだったかドイチェだったか、グレンフェルだったかに何人か居て、その人経由だったように記憶している。

なんだったか詳しく覚えていないが、なんかしらのトラブルが生じて、先方の管理部長かなんかの肩書だった人と電話でやり合って、最終的には、「双方に誤解があった」と和解した後で、「じゃ、和解の印に一献やりますか?」と話が進んで、株のファンドマネージャーの久保田さんとか外国債券のファンマネの誰それだとか、商品企画系の岡三出身の人達を集めて飲んだのが最初だったかな?

電話では結構やりあったものの、面と向かっては初対面だった割には話が弾んだような記憶がある。

その後もコラボをやったりしたと思うが、変に社外の人達と仲良くなると、社内の人間から「妬み嫉み」が生じたので、その後、俺たちは一歩引くかたちで遠慮して、仕事上ではあんまり関係は持たないようにした時期が1年かそこら続いたんだったかな。

そしたら、グレンフェルが吸収さてるっていう話になって、久保田さんが上層部に楯突いたかなんかして会社を辞めるってことになった。

久保田さんが引っ張った人達は必ずしもくっ付いては辞めずに残った人の方が多かった。

半年かな?もしかしたらそこまで経たないうちに、久保田さんから「コメルツに移ったので、ぜひ、取引よろしく」みたいな勧誘のアプローチを受けて、若干の取引をしたのかな。

それが私募投信

当時、私募投信が解禁されたものの、前例がまったくなくて。

なぜか、久保田さんはコメルツに移ってるのにドイチェ証券の法人営業部が「5億集めますから」とお願いもされて、「別にうちの会社が、なんも営業しなくて、事務作業するだけで信託報酬が年間200万円とか入ってくんだったら、ま、いいかな」という気もあって。

しかし、なんといっても私募のハードルの高さは、まず税制にあった。

私募の取り扱いをしようとすると、まず、頭の固い社内の経理部門を説得しなきゃいけない。

次に、金融機関(特に証券会社)の経理システムは、決まりきった経理処理、税務処理がプログラムされているので、それに乗っからない私募を取り扱おうとすると、システム屋を説得しなきゃいけない。

こいつらの頭の固さも、うんざりするくらい固くて、説得は難航した。

税制に関してはコメルツのスタッフが、日証協やら日本橋税務署やら京橋税務署と掛け合ってくれて、なんとか行けそうだとなったが、税務署はあくまで国税(所得税)部分だけなので、地方税を管轄してる東京都庁はどうなんだ?となって、俺が都庁に電話したり、あと当時の金融監督庁にも電話で確認なりなんやらしなきゃいけなかった。

いずれに電話しても、最初は「は?」だよね、どこも。

「なんで、そんな前例のないものを、こいつらはやりたがるのか?」と迷惑そうな応対だったが、なんとか、そこを押し通して。

それはいいんだが、システムに乗らない商品を販売したとして、「じゃあ、月次の残高報告書をどうすんのよ?」となるわな。

マジ、俺がハンドで毎月作るんかい?

となって、毎月作りましたよ。

バックオフィスの事務作業だけで手数料収入が稼げたものの、ドイチェ証券の法人部にも送らなきゃいけないから、結構面倒だったけど・・・

1年くらいで償還になったから良かったけどさ。

本当はもっと拡大できれば良かったのだろうけど、新しい試みとして実験データを蓄積するっていうのも有りなのかなと。

でも、その程度の成功じゃ駄目だったかして、久保田さんがコメルツを退職することになって。

その後の足取りがよく分からない。

ベンチャー投資(未公開株)のほうに一時行ってたらしかったが、俺が再び、久保田さんの名前を目にした時は、クオンツの前身のイーラックスの役員にその名を目にした時だった。

マカオだかどっかの不動産に投資するとかなんだとか、クオンツが新機軸を打ち出したりなんかしてて、「久保田さん、不動産のこと分かんの?」とIRを見てたけど、「これって、ある意味、この会社で海外不動産のことを真面目に管理しようという人間は、他にいないんだろうな・・・」とも感じていたのも事実で。

実態は、証券アナリストで、元ファンドマネージャーで、ベンチャー投資とかも経験した久保田さんが、他のいい加減な社長連中の後始末とか、お目付け役として頑張ってただけちゃうかな?というふうに見ていた俺ではあった。

それが、実は久保田さんが陰で糸引いてた黒幕みたいな妄想のたぐいに晒されているので、俺的には、「常に上と喧嘩してたあの人が、そこまでするかな?」とか、「陰謀の黒幕みたいなことをやる人だっけかな?」とか、「嫌なものは嫌だとはっきり言ってた人が、いくら社長の命令とは言っても従順に従うとは思えんな」とか思ったり、「いや、大きな組織の下に居た時はできても、人間、食えなくなれば、なんでもするかもな」と思ったり複雑な感情は巻き起こる。

ただ、俺の知ってる久保田さんの印象だと、そこまでズブズブになってまで個人の利益を追求する人のイメージはなくて、「変に真っ当な道に会社を糺そうと頑張ってしまった」がために全責任を負わされてしまったように見えて仕方がない。

所詮、「雇われ」なんだから、「そこまでの義理はない」はずじゃん。

でも、意外と証券マンって、「理想追及肌」とか「妙な正義感」を持つとこあるんだけど、その典型的な人が久保田さんであって、亡くなったのをいいことに全部責任を負わされているような気がしてならない。