の枝豆天ぷらを食いながら、そう思う。

いやー忘れてた、昔、母親が作ってくれた黒豆天ぷらが非常に美味かったことを。

たぶん、30年以上忘れてた。

黒豆の天麩羅は、おかずと云うよりは、むしろおやつに近い。

ご飯が要らない食べ物だった。

調べたら、レシピってのがクックパッドにあって逆に驚いた。

別に昔からあった郷土料理でもなく、単にうちの母親が天麩羅をいろいろと試していて、納豆天麩羅だの、枝豆天ぷらだの食わされた中でのヒット商品だったってだけだと、俺はてっきり思ってた。

春菊の天ぷらは俺は苦手で、ニラ天麩羅はご飯がいくらでも食べれた。

最近食わされるみょうがの天ぷらは、確かにピリッとするし、香りもいいんだけど、そんなにたくさん食べれる味でもなく。

ふきのとうの天ぷらは、それなりのとこ行けば外食でも食べれるけど、夕方に土手で摘んだ新鮮なふきのとうを夕飯で食べるのとは全然違う。

母親を病院に連れてって行っての帰りに、「ちょっと車停めて、あそこにふきのとうがありそうだから」とか言うので仕方なく車停めたら、母親が土手を探し回ってふきのとうを手摘みするんで、俺も仕方なく手伝った。

そういうことをまったく手伝わない兄貴も珍しく手伝ったりして。

後で聞けば、ふきのとうの天ぷらは兄貴の大好物で、俺が生まれる前とかは結構食べてたらしい。

偏食家の兄貴で、生魚、果物、野菜はほとんど食べないのに、なぜか、ふきのとうの天ぷらは大好物という不思議な人物

何でも食う次男の俺としては、よっぽど爺さん婆さんに初孫だというので甘やかされて育てられたせいだろうと解釈しているし、俺が生まれた時には爺さん婆さんは亡くなってた。

そんでオッサン二人の兄弟と母親とで摘んだ、ふきのとうの天ぷらが夕飯に出てきた。

お店で食べるものと変わらないと期待せずに食べたら

ん?なんだこれ?

お店で食べるのもそこそこの香りと味だけど、いやー、摘んでからわずか2、3時間で天麩羅となったふきのとうの香りと味は実に格別な味だった。

残念ながら、あの時以来、久しく味わっていない。

あれから10年経つ。

あんな早春の時期に実家に帰ることもないからな。

たまたま、あんときは俺が失業中だったから実現したことで、既にそん時は4月から次の職も3月頭に決まってて、再就職まで3週間ほど時間があったから実家に帰ってたというタイミングだった。

30代後半になって失業を経験した次男坊の俺は、正月に帰った時にはまだ次の職が決まってなくて、「親の育て方が悪かったからこうなってしまったんだ!」みたいな悪態をついてしまって、本当に親には心配させたと思う。

本当に申し訳ないと思った。

言ってしまってから後悔しても後の祭りなのだが、話の行き掛り上、俺も腹を立ててしまって、つい・・・

そうだった、黒豆の天ぷらの話だったっけ。

昔、母親が作ってくれた天麩羅をまぶした黒豆は、すごく硬くて、結構、食べにくい感じだったんだけど、あの自然な甘みと硬い触感が今でも忘れられない。

醤油も、塩も、天つゆも必要なしで食べれる味に仕上がってるので、ご飯要らずのおやつとして食えるようになってた。

育ちざかりの当時の俺の食欲と十分に満たしてくれた。

自然な甘みなんで牛乳と一緒に味わうと、なおのこといけた。

もう二度とあの頃に戻れないんだと思うと、無性に食いたくなってしまった。