いやー、1年ぶりくらいに街の本屋に行ったら平積みの新刊の嫌韓本の多いこと多いこと。
それだけ一般に売れてるということなんだろうなあ。
ネットの記事を見てても韓国絡みのニュースは日本に対してネガティブなものばかりで、別に韓国の情報なんか、これっぽっちも知りたくも無いのに、事細かに配信してくれて、いい迷惑でしかない。
韓流アイドルも韓国で起きた事件も韓国のスポーツも、まったく興味ねえのにさ。
誰か興味のある人間でもいるのか?
いねーよ。
少なくとも俺の周りには一人も。
昔も今も、ずっと無韓心。
あったとすれば、ワールドカップの時とか、WBCの時とか、エルピーダとかの日本のDRAMがサムスンとかの韓国メーカーのダンピング攻勢に晒されて追い込まれた過程とか、前の大統領が竹島に上陸した上に天皇陛下を侮辱した時くらい。
まあ、ワールドカップの時でも最初は日韓友好とか漠然と思ってただけだったけど、あの韓国チームの悪質なラフプレーやら、審判を買収したせいなのか疑惑の判定ばっかりで呆れてしまったので、どれもこれもネガティブなイメージしかない。
世界のサッカー界のスーパースターを相手に、明らかに脚を狙ったタックルとか、倒れた選手の後頭部を蹴りつけたプレーを見れば、誰だって「キチガイだな、こいつら」としか思わんし、俺も思えんかった。
んで、なんかずっと、なんで韓国は日本を目の敵のようにするのか疑問を感じつつも、いい答えが見つけ出せないできた。
やたら日本に対して上から目線で見ようとしてきたり、日本オリジナルの文化に対して韓国が起源であるかのような主張を繰り返す姿を見てると、どのみち日本だって古代においては中国の属国みたいな時代があって貢物を持っていったりしてたんだし、そんな中で、「中国の属国だった国同士が、うちの方が上だとか序列を競い合っても仕方ねえべさ」とか俺らは思っちまうのだけど、韓国は歴史的に中国の属国の中で「我こそは一番の臣下だ」と自認してきたせいなのか、俺らとは同じ価値観ではないらしい。
そんなこんな漠然と思ってたが、最近ある人から、「みんな朝鮮半島を経由して日本に文化が伝わったと錯覚してるかもしれないが、意外とそういった文化は少なくて、逆に日本から朝鮮半島に文化が伝わった例が多い」と聞かされて、なるほどなあと思った。
俺も地理的に近いから朝鮮半島から文化が伝わったものだと、てっきり思い込んでた。
代表的なのは稲作なんだとか。
稲作でも、陸稲と水稲と種類があって、古代から日本で盛んだった水稲作りは、寒い北朝鮮あたりの地域を通過して日本に伝わるはずがないとの説には、俺の疑問が氷解した。
水稲は揚子江流域が発祥らしく、いわゆる大河一帯の湿地帯で盛んになり、それから高温多湿の南方に下ってタイとかカンボジア、ベトナムに伝わっていった。
揚子江の河口は上海
確かに、地図で見ると上海と九州の距離は直線距離で900キロない。
海と陸との違いはあるが、上海と九州の距離は、九州と名古屋くらいの距離。
でも、間に東シナ海が横たわってるよね、と思ったが、上海からある程度ところまで海に漕ぎ出して、黒潮か対馬海流にうまく乗っかれば、嵐にでも遭遇しない限り九州まで行けるんだそうな。
俺らの子供の頃、ベトナム戦争の後とかの貧困からベトナム難民がボロっちい船で海を渡って来ただの、中国の南の方の福建省だかなんかからエンジンもない漁船に大勢乗って亡命してきただのニュースあったもんな。
福建省なんかだと上海より更に数100キロも遠いけど、海流に流されてるだけで日本まで到達してしまうんだ。
俺はてっきり唐招提寺を開いた鑑真和尚が何回も難破して目が見えなくなってしまっただの、遣唐使が海を渡るのは命がけだったとか聞いてたせいか、海を渡るのは危険なものだと思い込んでたが、考えてみれば遣唐使のルートは対馬海流だか黒潮の流れとは逆方向に向かうので、日数もかかってしまい、その間に台風とかに遭遇して難破してしまう可能性が高くなるということだったのね。
十分な食料を積むだけの船が用意できなかったりした場合は、沖縄諸島を経由して島伝いに海を渡るのがいいけど、十分な船と食糧が確保できるんだったら、直接、九州を目指した方が早い。
海流に任せれば、丁度、熊本より少し上の長崎とか佐賀とか福岡あたりの九州北部に漂着するらしいので、九州北部地方のあたりくらいから稲作の弥生文化が始まったという説は信憑性が高くなる。
海を渡る技術を持った人々なら後は瀬戸内海を少しずつ北上していけばいいので、後に大和朝廷と争うことになる岡山県あたりに吉備一族が一大勢力を持っていたというのも頷ける。
俺の考えだと、瀬戸内海を中国地方沿岸沿いに渡って行った人たちと、瀬戸内海の四国沿いに近畿地方に渡って行った人たちとが居て、大和朝廷を作った人らは、おそらく四国側の沿岸沿いに渡って行った人々なんではないかと思ったりしている。
大分県の国東半島の根っこにある宇佐八幡宮にしても、その海の反対側の四国香川県の金毘羅さんにしても、大昔から漁業を営む人たちとかの安全祈願、大漁祈願の信仰を集めてきたわけじゃん。
本当は、大分に海を隔てて一番近い愛媛あたりに由緒正しい神社があってもおかしくないはずなのだが、そんなに大きな神社はないみたい。
もしかしたら歴史のどっかで埋もれてしまったのかもしれない。
それは置くとしても、大和朝廷を作った人達が四国経由で大和盆地に入ったとする理由の一つには、近畿地方の地名の中に香川や徳島にある地名が同じだということ。
徳島を流れる吉野川の丁度反対側に和歌山を流れる吉野川があるなんてのは代表的。
和歌山の吉野川は紀ノ川とも呼ばれている。
徳島が阿波と呼ばれていて、琵琶湖も万葉集では淡海(あわみ)と呼ばれている。
多分、当時使われていた漢字は、それほど表意文字の概念に囚われていなくて同じ発音ということだけで、その漢字を使っていたりするので自由度が高かったと思われる。
アワつながりで言えば、千葉県にも共通する地名が数多くある。
千葉県が昔、安房(あわ)と呼んでいたことなんかも、なんかしらの繋がりを意識して地名が命名されたものと思われる。
なんせ、京都を流れる鴨川と同じ地名やら、和歌山にある勝浦と同じ地名があるだけに。
鴨川で脱線すると、賀茂川、加茂川、美濃加茂も同じ理由があって命名された地名かと思う。
もしかしたら、先祖を同じくする一族が太平洋沿岸沿いに北上していって、故郷と同じ地名を付けたのではないか。
イギリスのヨーク地方からアメリカ大陸に渡った人々が、ニューヨークと名付けたように。
地名を見る時は、あまり漢字の意味に囚われない方がいい。
古代の人々は、紙に字を書くとか紙に書いた文字を読む機会が少なかったので、文字の意味を考えるより、むしろ音感重視、単なるダジャレ的に当て字を楽しんでいた気配がある。
そうそう、俺も高校んとき、同級生にやたら中村とか中川とか、伊勢とかいう苗字の、中学では聞いたことのなかった苗字の奴らが増えて、なんなのかと不思議に思ったら、みんな漁師の息子なのな。
「中」の付く苗字だと中村が一番多いのかもしれんが、「中」の意味は上中下の中ではなくて、「ナカ」という一族の苗字の当て字がたまたま「中」しかなくて、それで「ナカさんの家族が住む村を取って、中村と付けたり、川の近くに住んでたナカさん達が中川と命名したらしいような話を聞いたことがある。
ナカさん達は海洋民族の一派
で、「中(仲)」の付く苗字が多いのは太平洋沿岸沿いだとかいうのも、言われてみれば確かにそうだ。
豊臣秀吉の出身も名古屋の今の中村区。
当時の地形だと、かなり海沿いに近い。
本当だったら、中村秀吉になってたかもしれない。
これはかなり飛躍した発想だが、天智天皇となる「中大兄皇子(なかのうえのおうじ)」も「中」が付く。
「中大兄(なかのうえ)」という漢字の文字に特別な意味があるようには思えないので、多分、当て字に過ぎないのではなかろうかと思う。
もしかしたら「ナカ一族の王子様」といった意味だったのではないか。
海幸彦、山幸彦の神話も馬鹿にはできない。
そうすると、「山(ヤマ)」一族もいたかみしれんな。
邪馬台国と言うしな・・・
山下や山村とか山田とかは、なんとなく「山」の地形が苗字の由来となったと言われれば、そうかなと思わんでもないが、ちょっと苦しいが山川とか、山野とか山原とかになってくると、今一つ漢字由来の苗字と言われてもピンとこない。
それよりも、「ヤマちゃん」とこの野原、「ヤマちゃん」とこの田んぼを苗字にしたと理解したほうがしっくりくる。
「ナカ」一族が分派していったように、「ヤマ」一族も分派していったみたいな。
次回は、「田中」と「中田」みたいに、「山本と本山」とか、漢字の順番が逆で、漢字の意味を考えると大して違わない苗字の付け方に隠された意味があるのではないか?という考察をしてみようかと思ってる。
まだ、考えがまとまっていないけど。。。。
多分、なんとなく直感的には、同じ漢字二文字でも、まったく意味が違ってるというか、それなりの意味があって、そういう漢字の順番になってるのだろうと予測している。
最初の方の嫌韓の話から稲作文化、最後の方の苗字の話とか全然、話題が脱線しまくりだったな。
ただ、欧米人には見分けがつきにくい同じアジア人だけど、どうも半島の人らは北方系の顔立ちとか骨格をしているけど、日本人は華奢な骨格だったり、顔つきもタヌキ顔が多くて、どちらかというと南方系の遺伝子が多そうな感じがしてるので。
それと、ペットも、日本人は昔から猫や犬と共に暮らしてきたせいか、犬猫ペット好きが多いのに、韓国では猫を飼うカルチャーはつい最近のことだとか、犬を食べる習慣があるとか、ちょっと日本人の文化とは違う人々のような違和感を感じるところも多いし。
多分、米蔵を狙うネズミ退治のために昔から猫を運命共同体のように可愛がってきた日本の人々と、そうではない文化との決定的な違いがあるせいではないかと思ったりなんかしている。
確かに、日本人が寒いところを嫌う習性がある猫を飼うというところなんかも、稲作(水稲)が伝わってきたルートとの関係性がありそうだし。
猫とか小さな生き物を愛する文化とか、ちょっと北方系の人種とは違うカルチャーを持っていたりする。
あと、稲作とスズメの関係とか、大昔には日本列島を秋津島と呼んだように、瑞穂の国と秋津(トンボ)の関係とかも興味が湧く。
多分、漁業を専門にする人も多かったが、稲作して定住するには、むしろ海岸沿いから川を遡った少し内陸の土地か、盆地が稲作に適していたので奈良や京都に都が作られたり、吉野ヶ里があったのだと思う。
当時の治水技術だと、海に近い河口に近ければ近いほど川が氾濫しやすいので、水害の影響を避ける目的があったものと想像する。
江戸や大坂、名古屋は海に近すぎたので、戦国時代になるまで荒れ放題の湿地として放置されていた土地だった。
それだけ一般に売れてるということなんだろうなあ。
ネットの記事を見てても韓国絡みのニュースは日本に対してネガティブなものばかりで、別に韓国の情報なんか、これっぽっちも知りたくも無いのに、事細かに配信してくれて、いい迷惑でしかない。
韓流アイドルも韓国で起きた事件も韓国のスポーツも、まったく興味ねえのにさ。
誰か興味のある人間でもいるのか?
いねーよ。
少なくとも俺の周りには一人も。
昔も今も、ずっと無韓心。
あったとすれば、ワールドカップの時とか、WBCの時とか、エルピーダとかの日本のDRAMがサムスンとかの韓国メーカーのダンピング攻勢に晒されて追い込まれた過程とか、前の大統領が竹島に上陸した上に天皇陛下を侮辱した時くらい。
まあ、ワールドカップの時でも最初は日韓友好とか漠然と思ってただけだったけど、あの韓国チームの悪質なラフプレーやら、審判を買収したせいなのか疑惑の判定ばっかりで呆れてしまったので、どれもこれもネガティブなイメージしかない。
世界のサッカー界のスーパースターを相手に、明らかに脚を狙ったタックルとか、倒れた選手の後頭部を蹴りつけたプレーを見れば、誰だって「キチガイだな、こいつら」としか思わんし、俺も思えんかった。
んで、なんかずっと、なんで韓国は日本を目の敵のようにするのか疑問を感じつつも、いい答えが見つけ出せないできた。
やたら日本に対して上から目線で見ようとしてきたり、日本オリジナルの文化に対して韓国が起源であるかのような主張を繰り返す姿を見てると、どのみち日本だって古代においては中国の属国みたいな時代があって貢物を持っていったりしてたんだし、そんな中で、「中国の属国だった国同士が、うちの方が上だとか序列を競い合っても仕方ねえべさ」とか俺らは思っちまうのだけど、韓国は歴史的に中国の属国の中で「我こそは一番の臣下だ」と自認してきたせいなのか、俺らとは同じ価値観ではないらしい。
そんなこんな漠然と思ってたが、最近ある人から、「みんな朝鮮半島を経由して日本に文化が伝わったと錯覚してるかもしれないが、意外とそういった文化は少なくて、逆に日本から朝鮮半島に文化が伝わった例が多い」と聞かされて、なるほどなあと思った。
俺も地理的に近いから朝鮮半島から文化が伝わったものだと、てっきり思い込んでた。
代表的なのは稲作なんだとか。
稲作でも、陸稲と水稲と種類があって、古代から日本で盛んだった水稲作りは、寒い北朝鮮あたりの地域を通過して日本に伝わるはずがないとの説には、俺の疑問が氷解した。
水稲は揚子江流域が発祥らしく、いわゆる大河一帯の湿地帯で盛んになり、それから高温多湿の南方に下ってタイとかカンボジア、ベトナムに伝わっていった。
揚子江の河口は上海
確かに、地図で見ると上海と九州の距離は直線距離で900キロない。
海と陸との違いはあるが、上海と九州の距離は、九州と名古屋くらいの距離。
でも、間に東シナ海が横たわってるよね、と思ったが、上海からある程度ところまで海に漕ぎ出して、黒潮か対馬海流にうまく乗っかれば、嵐にでも遭遇しない限り九州まで行けるんだそうな。
俺らの子供の頃、ベトナム戦争の後とかの貧困からベトナム難民がボロっちい船で海を渡って来ただの、中国の南の方の福建省だかなんかからエンジンもない漁船に大勢乗って亡命してきただのニュースあったもんな。
福建省なんかだと上海より更に数100キロも遠いけど、海流に流されてるだけで日本まで到達してしまうんだ。
俺はてっきり唐招提寺を開いた鑑真和尚が何回も難破して目が見えなくなってしまっただの、遣唐使が海を渡るのは命がけだったとか聞いてたせいか、海を渡るのは危険なものだと思い込んでたが、考えてみれば遣唐使のルートは対馬海流だか黒潮の流れとは逆方向に向かうので、日数もかかってしまい、その間に台風とかに遭遇して難破してしまう可能性が高くなるということだったのね。
十分な食料を積むだけの船が用意できなかったりした場合は、沖縄諸島を経由して島伝いに海を渡るのがいいけど、十分な船と食糧が確保できるんだったら、直接、九州を目指した方が早い。
海流に任せれば、丁度、熊本より少し上の長崎とか佐賀とか福岡あたりの九州北部に漂着するらしいので、九州北部地方のあたりくらいから稲作の弥生文化が始まったという説は信憑性が高くなる。
海を渡る技術を持った人々なら後は瀬戸内海を少しずつ北上していけばいいので、後に大和朝廷と争うことになる岡山県あたりに吉備一族が一大勢力を持っていたというのも頷ける。
俺の考えだと、瀬戸内海を中国地方沿岸沿いに渡って行った人たちと、瀬戸内海の四国沿いに近畿地方に渡って行った人たちとが居て、大和朝廷を作った人らは、おそらく四国側の沿岸沿いに渡って行った人々なんではないかと思ったりしている。
大分県の国東半島の根っこにある宇佐八幡宮にしても、その海の反対側の四国香川県の金毘羅さんにしても、大昔から漁業を営む人たちとかの安全祈願、大漁祈願の信仰を集めてきたわけじゃん。
本当は、大分に海を隔てて一番近い愛媛あたりに由緒正しい神社があってもおかしくないはずなのだが、そんなに大きな神社はないみたい。
もしかしたら歴史のどっかで埋もれてしまったのかもしれない。
それは置くとしても、大和朝廷を作った人達が四国経由で大和盆地に入ったとする理由の一つには、近畿地方の地名の中に香川や徳島にある地名が同じだということ。
徳島を流れる吉野川の丁度反対側に和歌山を流れる吉野川があるなんてのは代表的。
和歌山の吉野川は紀ノ川とも呼ばれている。
徳島が阿波と呼ばれていて、琵琶湖も万葉集では淡海(あわみ)と呼ばれている。
多分、当時使われていた漢字は、それほど表意文字の概念に囚われていなくて同じ発音ということだけで、その漢字を使っていたりするので自由度が高かったと思われる。
アワつながりで言えば、千葉県にも共通する地名が数多くある。
千葉県が昔、安房(あわ)と呼んでいたことなんかも、なんかしらの繋がりを意識して地名が命名されたものと思われる。
なんせ、京都を流れる鴨川と同じ地名やら、和歌山にある勝浦と同じ地名があるだけに。
鴨川で脱線すると、賀茂川、加茂川、美濃加茂も同じ理由があって命名された地名かと思う。
もしかしたら、先祖を同じくする一族が太平洋沿岸沿いに北上していって、故郷と同じ地名を付けたのではないか。
イギリスのヨーク地方からアメリカ大陸に渡った人々が、ニューヨークと名付けたように。
地名を見る時は、あまり漢字の意味に囚われない方がいい。
古代の人々は、紙に字を書くとか紙に書いた文字を読む機会が少なかったので、文字の意味を考えるより、むしろ音感重視、単なるダジャレ的に当て字を楽しんでいた気配がある。
そうそう、俺も高校んとき、同級生にやたら中村とか中川とか、伊勢とかいう苗字の、中学では聞いたことのなかった苗字の奴らが増えて、なんなのかと不思議に思ったら、みんな漁師の息子なのな。
「中」の付く苗字だと中村が一番多いのかもしれんが、「中」の意味は上中下の中ではなくて、「ナカ」という一族の苗字の当て字がたまたま「中」しかなくて、それで「ナカさんの家族が住む村を取って、中村と付けたり、川の近くに住んでたナカさん達が中川と命名したらしいような話を聞いたことがある。
ナカさん達は海洋民族の一派
で、「中(仲)」の付く苗字が多いのは太平洋沿岸沿いだとかいうのも、言われてみれば確かにそうだ。
豊臣秀吉の出身も名古屋の今の中村区。
当時の地形だと、かなり海沿いに近い。
本当だったら、中村秀吉になってたかもしれない。
これはかなり飛躍した発想だが、天智天皇となる「中大兄皇子(なかのうえのおうじ)」も「中」が付く。
「中大兄(なかのうえ)」という漢字の文字に特別な意味があるようには思えないので、多分、当て字に過ぎないのではなかろうかと思う。
もしかしたら「ナカ一族の王子様」といった意味だったのではないか。
海幸彦、山幸彦の神話も馬鹿にはできない。
そうすると、「山(ヤマ)」一族もいたかみしれんな。
邪馬台国と言うしな・・・
山下や山村とか山田とかは、なんとなく「山」の地形が苗字の由来となったと言われれば、そうかなと思わんでもないが、ちょっと苦しいが山川とか、山野とか山原とかになってくると、今一つ漢字由来の苗字と言われてもピンとこない。
それよりも、「ヤマちゃん」とこの野原、「ヤマちゃん」とこの田んぼを苗字にしたと理解したほうがしっくりくる。
「ナカ」一族が分派していったように、「ヤマ」一族も分派していったみたいな。
次回は、「田中」と「中田」みたいに、「山本と本山」とか、漢字の順番が逆で、漢字の意味を考えると大して違わない苗字の付け方に隠された意味があるのではないか?という考察をしてみようかと思ってる。
まだ、考えがまとまっていないけど。。。。
多分、なんとなく直感的には、同じ漢字二文字でも、まったく意味が違ってるというか、それなりの意味があって、そういう漢字の順番になってるのだろうと予測している。
最初の方の嫌韓の話から稲作文化、最後の方の苗字の話とか全然、話題が脱線しまくりだったな。
ただ、欧米人には見分けがつきにくい同じアジア人だけど、どうも半島の人らは北方系の顔立ちとか骨格をしているけど、日本人は華奢な骨格だったり、顔つきもタヌキ顔が多くて、どちらかというと南方系の遺伝子が多そうな感じがしてるので。
それと、ペットも、日本人は昔から猫や犬と共に暮らしてきたせいか、犬猫ペット好きが多いのに、韓国では猫を飼うカルチャーはつい最近のことだとか、犬を食べる習慣があるとか、ちょっと日本人の文化とは違う人々のような違和感を感じるところも多いし。
多分、米蔵を狙うネズミ退治のために昔から猫を運命共同体のように可愛がってきた日本の人々と、そうではない文化との決定的な違いがあるせいではないかと思ったりなんかしている。
確かに、日本人が寒いところを嫌う習性がある猫を飼うというところなんかも、稲作(水稲)が伝わってきたルートとの関係性がありそうだし。
猫とか小さな生き物を愛する文化とか、ちょっと北方系の人種とは違うカルチャーを持っていたりする。
あと、稲作とスズメの関係とか、大昔には日本列島を秋津島と呼んだように、瑞穂の国と秋津(トンボ)の関係とかも興味が湧く。
多分、漁業を専門にする人も多かったが、稲作して定住するには、むしろ海岸沿いから川を遡った少し内陸の土地か、盆地が稲作に適していたので奈良や京都に都が作られたり、吉野ヶ里があったのだと思う。
当時の治水技術だと、海に近い河口に近ければ近いほど川が氾濫しやすいので、水害の影響を避ける目的があったものと想像する。
江戸や大坂、名古屋は海に近すぎたので、戦国時代になるまで荒れ放題の湿地として放置されていた土地だった。