別にここで、映画の評論をやるつもりはない。

だが、このシーンは、「低所得者でも住宅を持てるように」という父親の遺志を継いで奮闘してきた主役が、ある事件のせいで破産しそうになって橋の上から飛び降り自殺を考えるところまで来て、必死で神に、「もう一度、人生をやり直したい!」と叫ぶシーン。

でも、ラストシーンは、この人がこれまでやってきた努力に感謝する人々の支援で窮地が救われて、「俺の財産はカネじゃない。俺の人生は間違ってなかった!」となってハッピーエンドを迎える。

どっかの金持ちとは大違い。

クリスマスシーズンのテーマは、ディケンズの「クリスマスキャロル」の「スクルージ(守銭奴)になってはいけないよ」というのがテーマで170年経ってもずっと変わらない。


晩飯食いに行きがてら近所を散歩してきた。
往き1時間、帰り1時間
知らないあいだに100軒くらいは建てられそうな宅地分譲地が出来上がってた。

最近の政策では「住み替え」が話題になることが少なくなってきたけど、住み替えを促進するいい知恵はないものだろうかと思う。

農業や商店やってる人は土地に縛られるのは仕方ないけど、サラリーマンは通勤さえできれば、どこに住んでも構わないのだし、子供の学校とか、奥さんの近所づきあいさえ問題なければ、住み替えをしたいと考えている世帯は潜在的に多いと思う。

「住宅ローンを抱えるのは自殺行為だ」などという考え方が蔓延るようになったのは、90年代の中頃から終わり頃からだったのかな?
あの頃は不動産価格の下落から銀行の不良債権問題、住専問題が騒がれていた時代だった。
バブル時代は2LDKのマンションが5千万円とか普通にしてたので、確かに異常な不動産価格だった。
住むだけじゃなくて、不動産価格が将来値上がりして、転売しても利益が出るという投資目的で購入するから、その分が値段に上乗せされていた。

家を買うことにプラスして、将来の価格上昇期待の「オプション(権利)」も買わされている状態。

結局、不動産は下落して、値上がり期待のオプションは紙切れになり、今だと2LDKマンションが2千万円台くらいだから、倍くらいの値段で買わされたことになる。
不動産をオプション取引と絡めて考えるのは俺くらいなものかもしれないが、なんとなく言ってる意味は通じるんじゃないかと思う。

東京近郊だと、今はマンション買っても月々のローンが10万円を少し超えるくらいだろうし、賃貸でも同じくらいの出費になる。
分譲、賃貸とも同じクラスのマンションだと、2万円くらいは分譲のほうが月々の支払いが高くなると考えるのが普通かもしれないが、駐車場代とかを考えると、ほぼ一緒かもしれない。
ほぼ同じ出費なのに、意外と手頃な賃貸マンションを探すほうが難しかったりする。

でも、住み替えという点では、賃貸のほうが気軽にできるので、将来的に住み替えを考えている人は賃貸が得だとなる。
ここが、賃貸有利派の主張する大きなポイントになってる。

ただ、住宅を購入すれば、いずれ必要となる補修費用とかもあるのは事実だけど、もし、ローンの途中で旦那が死んでしまった場合に、団体信用保険が支払われるので、残された遺族には、家を売れば、いくばくかの生活費が捻出されることも考えれば、そこんところは賃貸とは違ったメリットというか、もしもの時にも保険があるとも考えられる。
もし、死んでも、生命保険以外にも、家族に当面の生活費を残してやれるということ。
保険も、オプション(権利)の一種なので、親父に何かあっても、家族にオプションを残せるメリットを考えると、賃貸派の主張を排除できる。
(そこんとこまで考えて、「賃貸が有利」とか主張してんのか?巷の腐れFPは。俺はFPがそんなことを言ってるのを聞いたことがいないけど。)

アメリカのサブプライム問題は、低所得者の住宅取得ばかりがクローズアップされてしまったが、中所得者以上の住み替えニーズを叶えてきたという点も実はある。

理想的な人生設計をモデルに考えた場合、20代後半くらいまでに結婚して、30前後に一人目の子供が生まれ、30代半ばまでに2人目、3人目が生まれ・・・と考えると、1人目の子供が赤ん坊のうちは、通勤に便利で、繁華街にも近い賃貸住宅に住むのが若い夫婦のライフスタイルに合っているが、幼稚園や学校を考えたり、これから子供が大きくなっていくことを考えると、むしろ繁華街から少し離れた場所で、広い家に住んだほうが良いと考えるようになる。
車がじゃんじゃん通って排気ガスを撒き散らす国道沿いを敬遠し、犯罪に巻き込まれる恐れの少ない公園などが近く緑の多い場所に移ることを検討する。

なので、あれほど、「これからも賃貸のほうが都合がいいよね」なんて言っていた夫婦が、30代半ばで住宅を購入することが増えてくる。
4LDKがベストだけど、少し親からの援助があったとしても、今の自分の収入じゃ難しいと考えて、1時間以上の通勤時間の掛かる郊外を選ぶか、4LDKを断念するか、いずれかの選択になる。
いっそのこと、郊外に2世帯住宅を建てようかなんていう選択をする家族もある。

それで、30代で、それなりの計算と予定で住宅を購入してはみたものの、子供が大きくなってきて、進学やら、イジメなんやら大騒ぎになってるうちに、どうも、長年住んできた今の我が家や、今住んでる地域に疑問を感じるようになってくる。
できれば、もう一回くらい、住み替えしたほうが良いのではないか?と。
大体、それが40代半ばから50歳前後
非常に悩みどき

特に、男親は、普段、仕事で子供の面倒を見れなかったりするので、受験で子供が悩んでる姿や、子供が反抗的な態度を見せるようになってきたり、子供が学校でイジメに遭ってるとか聞くと、「環境を変えたほうが良いのではないか?」と真剣に考えるようになる。
確かに、子供らが巣立って行ったときに、老夫婦二人で郊外の広い家に住んでいるのも、「なにかと不便じゃないか?」と考える向きもあろうが、子供が孫を連れて帰ってきた時には、「やはり家は広いほうがいいよな」とか、あれこれ想像して、「仮に夫婦二人だけになったとしても、その時になったら、また改めて考えればいいことだ。それよりも、今どうするかが問題だ」と思い直したりする。

そんなこんなで、今の中年世帯には、潜在的に住み替え需要があると見てる。

都心の8千万以上もするような高級マンションが売れるのは、バブル時代を経て、親の遺産相続で莫大な資産を持ってる俺らより上の世代が、子供や孫のためとか、子供が独立したので、夫婦二人のためとかで買ってる。
その下の俺らの世代は、そんな遺産相続なんかしていないので、そんな物件を買える人間は少ない。
居ても、ITバブルとかベンチャーバブルで、間違って大金を掴んでしまった人間くらいなもの。
間違って大金を掴んでしまったから、「これがいつまでも続くもの」と勘違いして、ステータスとして、高級マンションを買ってみたり、ポルシェを買ってみたりするが、バブルが弾けちゃった今は、負け戦でどんどん手放している有様。

そんな高級志向よりも、普通のサラリーマン世帯をターゲットにした住み替え需要を掘り起こせないのか?

と考えるわけ。

金融不安をもたらしたサブプライムローンは、負の側面ばかり見てしまうが、基本的には中低所得者層をターゲットにした住宅政策で、国民の幸福感を満たすことを念頭に置いた政策なわけなんであって、破綻した今になっても、基本理念自体は色あせてないし、日本でも十分に検討する余地のある政策だと思うのだが。

内需って、要するに「日常生活の幸福」でしょ。
「日常生活の幸福」って、突き詰めれば「家庭の幸福」であり、「家庭の幸福」の基盤は「住宅環境」に行き着く。

震災で家を失った人らが、一番、何を欲しているかといえば、やはり家

俺も実家が被災地なんだが、「家さえありさえすれば、幸せになれる」なんて甘い考えは意外と持ってなくて、家だけあっても、その家庭の幸福を継続するには、やはり「職場の確保」だというふうに考えている。
「家庭の平和」にせよ、親の職場が無くなってしまえば簡単に壊れてしまうので、震災復興は、両面支援で同時に進めていかないと、折角の支援が無に帰してしまうのではないかと恐れている。

で、被災地の人間が大変な生活を余儀なくされているのは、重々承知なわけだが、日本国政府として考えなければいかんのは、被災地以外の国民の生活も大事だということ。
被災地支援をするがために、他の地域の国民の反感を買ってしまったり、被災地住民が批難されたりするようなことになってはイカンし、他の地域の経済活動が停滞するようなことになってしまえば、復興財源の捻出だって覚束無くなる。

民主党が安倍政権が打ち出した経済政策の財源を問題にしているようだが、もう少しで震災から丸2年になろうとしているのに、「何もできなかった、お前らが、よく言うよ!」と、突っ込みたくなる。
円安、インフレ政策は、震災地域以外も含めて景気促進、雇用促進を図ろうという意図なのに、何が文句あるのか不思議でならない。
文句を言う前に、「霞ヶ関埋蔵金」が、本当にあったのか、なかったのか回答してからにしてもらいたい。
経済や財政は、私の専門じゃないので・・・とか言い逃れをするんじゃなくて、よ。


もとい

住み替えも、住宅金融公庫の拡充とか、住み替え特例減税とかは、あんまり効果が期待できないので、根本的な解決のアイディアが求められているんだろう。

住宅政策は、息の長い経済政策なので、カンフル剤的な減税よりも、仕組みを根本的に改善するアイディアがないと続かないというのが、過去の景気対策の反省でもある。

90年代後半から2000年代前半の不動産の流動化、証券化については、少しは俺も勉強したり、関わった部分もあったけど、結局は、儲けの大きい大都会のオフィスビルとか、高級マンションにしか波及しなかったのは、心が痛いところではある。

ゴールドマンサックスが新宿西口のどっかの生命保険会社のビルを買収するだの盛んに話題になったりして、金子某がアメリカから帰ってきてダヴィンチとか起こしたりして、金融テクノロジーと不動産ビジネスの融合だのなんだのとイキがって語っていたが、要は金儲けだけのことで、いざ金融不安になったら、あっさり倒産しちまった。

不動産屋は、バカばっかりだもん
後先考えずにイケイケどんどんは、金融屋よりひどい
コンプライアンスなんか、これぽっちも重視していないし、彼らはそういう社員教育を受けてないから、モラルが非常に低い。
大京出身者とか見てると、元株屋の俺から見ても、低俗な奴らばかりだと感じてしまう。
(株屋の低俗さは別の次元の低俗さなので、別の機会に書くとしよう)

「ハゲタカ」の主役の鷲津政彦は、「腐ったこの国を買い叩く!」という言葉ばかりに喝采が集まったけど、銀行マン時代に町工場の零細企業の融資担当で、銀行の不条理に疑問を感じて、アメリカに渡ってハゲタカとなって舞い戻ってきたというふうに描かれていたが、いや、あれは、意外と真理を突いていると思うね。






2000年代以降は、頭良くていい大学出たくせに、モラルのない人間が成功を収めたが、こっから先は、チト違ったふうに変わっていかないといけない。
すでにその動きは始まっているけども、もっと進んで、奴らを駆逐してかんといかん。

もとい

サブプライムローンは、信用度の低い人々向けの住宅ローンということが表向きの名目だったけど、もっと研究してみれば、国民の幸福を考える上で、参考となる、より深い知恵が隠されているんじゃないか?
失敗の中にも、何かヒントが見いだせるのではないか。
内容もよく知らないくせに、サブプライム問題、リーマンショックだけをとらまえての、食わず嫌いはよくない。


「素晴らしきかな人生」は、不況時代を背景にしながら、アメリカの地域に根ざした零細な住宅ローンに特化した住宅金融組合を舞台にして、さらに兄弟の邂逅もテーマにしてるところが、名作と言われる所以でもある。

主役のジェームズ・スチュアートが、「真面目に働いている低所得者にも、家を持つことができるようにしないといけない!」という理念で、採算度外視して、低所得者のために一生懸命に頑張る姿に心打たれる。

確か、「親父の事業を継ぐためにも、兄貴は大学に行けよ。俺は軍隊に入るから(家計をたすけるために)」と弟が言うんだっけかな。
主役の兄貴は、そのことがずっと心の重荷になっていて、弟に申し訳ない、弟は俺を恨んでいるのではないかという思いを抱えて生きてきて、エンディングシーンで第一次大戦の英雄となって帰ってきた弟から、「うちの兄さんは、街一番のリッチマンだ!」と言うシーンで最高の盛り上がりとなって終わる。
リッチマンの意味は、単なる金持ちのことじゃなくて、幸福者とか、「人々に幸福を分け与える人」とか訳すのがいいんだろうけど、日本語にはその意味合いがない。
オリジナルのセリフだと、「リッチマン」じゃなくて、「the richest man in town」だけど。

ま、あの強欲の高利貸しの悪役がいい演技をするんで、余計に主役が引き立つわけだが。
「そんな貧乏人相手の儲からない住宅金融組合なんかやってないで、俺のところに来れば高額の報酬を約束するよ」と主人公に悪魔の囁きをするが、主人公は断固として、その誘惑に乗らない。

渋い演技をする悪役のいないドラマはつまらない。
悪役の存在感いかんによって、視聴者にもリアリティが増すのでドラマの面白みが湧く。
水戸黄門でも、悪役が憎けりゃ憎いほど、見たあとのスッキリ感が違う。

実は、カラー版もあったんだな、よーし見てみようーっと。

現代の経済とか、今ビジネスでどんなことが起きているかとかを考慮しないで作ってる日本の映画やテレビドラマが軽いものになってしまってるのは、作ってる人間が陳腐な文学とかにしか興味がないからだろう。
不倫願望のある主婦や、お子様、老人が対象なら、それでもいいかもしれないが、働いてる男からしてみたら、まったく見る気がしない。