商品ファンドっつうのがあった。
今もあるんだろうが。
あれなんかも金融ビッグバンで解禁された。
私募もそうだし、会社型投信とか、商品ファンドとか、投資事業組合だの、ビッグバンで解禁されるまで日本で禁じられていたっつーのは、やっぱ、なんかしらのちゃんとした理由があったからなんだろうと今になって思う。
おそらく、昭和30年代でも40年代でも、そういう商品が海外にあることは、当時の人らも知ってたけど、投資家保護とか法的なバックアップに疑問があるので解禁をずっと見送ってきたんかも。
なんか昔の人は無知かのように、つい思ってしまうけど、よくよく考えてみると、そうじゃなかったのかもしれない。
ヘッジファンドやら金融工学やらなんやら派手な面ばかり目に入ってしまうけど、もっとシンプルに考えて、日本人であろうが、アメリカ人であろうが、現代人であろうが、古代人であろうが、人間のやることには大して違いがないことに思いが至れば、今まで禁じられていたことをやるには、本来的には何をちゃんとやっとかなきゃいけないか気付いたはずなんだが、かなり拙速にやってしまった嫌いはあるような気がすんだよな。
頭のいいエリートたちが考えてですら、この有様を招いてしまった。
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」というが、この段で行くと、当時のエリートたちも愚者に分類されてしまうということか。

会社法になったが、商法そのものがなくなったわけじゃない。
今更ながら、「商法って、よく考えて作られた法律だったんだなあ」と思うことがある。
明治時代に成立した法律だが、その意味で言うと明治の人らはすごいと思う。
やっぱ、平成時代の人間たちより、断然深いわ。
商法みたいな法律を、現代の人らが作れるとはとても思えん。
だから今でも、古いカタカナ表記の商法の記述を下手にいじれないことになってるんだろう。